紫と桜(中編)
(やばっ!)
離れて見ていた女性は凄まじい勢いで、部屋から飛び出した。
「桜崎さんっ!?」
体から一気に狂気が出た事に気が付いた真矢は思わず抱き締めている美緒の方を見た。
「はー、凄い光景だねえ。」
辺り一面が真っ暗になって思わず周りを見ながら声を上げていた。
「あ、あの、大丈夫ですか?何ともありませんか?」
美緒の顔を見上げながら焦り気味に真矢は聞いた。
「何ともないねえ。あたしの事は心配しなくて良いよ。良いから、のんびりしてな。」
微笑みながら言う美緒の顔を見てホッとして、真矢は自分から美緒に抱きついた。美緒は黙って抱き返した。
(何だか・・・とっても・・・あったかい・・・。)
真矢はそのうち寝息を立て始めていた。美緒はそれを確認してから、軽く頭を撫でていた。
暫くすると辺りの黒いものは自然と消えていった。
(何であたしは何ともないんだろ?ま、いっか。)
美緒は少し首を傾げた後で、寝息を立てている真矢を見て微笑んでいた。
建物に入ると既に狂気にあてられているものが複数居た。中は狂気にあてられて暴れる方とそれを抑える方で大騒ぎになっていた。それを無視して三人は一気に奥へと走って行った。
真矢の居る部屋の前まで来ると、気配は一気に消えて行った。ただ、ドアの前で一人の女性が凄い汗をかいて肩を震わせて荒い息を立てていた。
「大丈夫か、沙百合!」
「な・・・なん・・・とか・・・はぁはぁ・・・。収まって・・・くれ・・・た・・・。中に・・・もう一人・・・駄目・・・かも・・・。」
それだけ言うと、沙百合は崩れるように倒れ込んだ。
「蒼蘭、そいつは頼んだ。俺と霊閃で中に入る。」
比呂猛はそれだけ言うと、ドアを開けた。中には知らない時代遅れの女番が真矢を抱き締めていた。その状況を見て、良く分からずに比呂猛と霊閃は顔を見合わせていた。比呂猛は、表に顔を出して蒼蘭を探した。丁度沙百合を抱えて離れていく所だった。
「蒼蘭、中に天王以外に一人女が居るが誰だ?」
「ん?天王 真矢一人の筈だが、悪い俺わからねえ、こいつが知ってるかもしれんが当分無理だろうから、直接聞いてくれねえか?その中に居るって事は、こいつが入れたんだろうからやばい奴じゃない筈だ。済まねえ、頼む。」
蒼蘭はそう言って、その場から離れていった。
「あいつ、かなり参ってるな。しゃあねえか・・・。」
比呂猛は呟きながら中へ戻った。
「霊閃、蒼蘭駄目だわ。直接聞いてくれって言うからさ。俺聞くわ。」
霊閃は黙って頷いた。その後、比呂猛は美緒の方へ向き直った。
「俺は紫 比呂猛。あんた誰だ?そして、何でここに居る?」
「紫?ブラッディーパープルかい?」
美緒は驚いて聞き返す。
「良く知ってんな。そうだけどな。それは置いといてこっちの質問に答えてくれ。」
「ああ、悪いね。あたしは桜崎 美緒。ここに居るのは喧嘩になって、やられちまってここの連中に連れてこられた。それで、その後流れでこの子の隣に座ってる。これで良いかい?」
「分かった。で、桜崎。お前何ともないのか?」
比呂猛はさっきまで見てきた周りの様子を思い出しながら聞いた。
「この子にも言われたんだけどね。何ともないよ。まあ、あれかね。あたしは初めから狂っているのかもしれないよ。」
美緒は少し笑いながら答えた。
「まあ、冗談は置いといてこの子疲れているから、寝かせてやりたいからさ。いろんな質問やら何やらは自然に起きるまで勘弁してやってくれないかい?」
「それは良いけどよ。お前、頬は大丈夫か?」
「心配には及ばないよ。いつもの事だよ。」
美緒は手をひらひらさせて答えた。
「じゃあ、俺等は外で待たせて貰う。起きたら呼んでくれ。」
「分かったよ。」
比呂猛は美緒の返事を待ってから、霊閃と部屋の外に出た。
「比呂猛、あの女性ご存知ですか?」
「いや、初対面だ。腕っ節はないが大した肝っ玉だ。」
比呂猛はそう言いながら霊閃を見た。
「少し悪戯で威圧したんですが、全く相手にもされませんでしたね。」
相変わらずにこにこしながら霊閃は言った。
「ったく、しゃあねえな。でも、真理も驚いてる。表にも出ていないのに見られてたって言ってる。」
「私も同じですかね。一目見られただけで、存在を知られた感じがして、少し寒気がしました。私的に一目見るではなく一瞥された感じでした。威圧したのはそれに対する儚い抵抗でした。相手されませんでしたしね。」
本音なのか霊閃は苦笑いして言う。
「本人自覚無いんだろうな。真理が言うには、大器晩成型で無限の可能性を秘めているそうだ。お前に忠告で変に喧嘩売るなってさ。」
比呂猛は少し笑いながら言った。
「私だって喧嘩相手はきちんと選びますよ。一目見られただけで寒気がするような方に喧嘩売ろうだなんて思いませんよ。」
「真理は面白がってやるかと思ったんじゃねえのか?」
「面白がるというのは否定はしませんが、貴方でもならなかったこんな初めての感覚を感じてやろうとは思いません。私だって存在は惜しいですから。」
霊閃は最後の部分だけ真顔になって言った。
「そっか、分かった。お前がそこまで言うんだ、あいつは本物だな。ここに来て面白い奴がまた出て来たな。」
比呂猛はニヤッと笑いながら言った。
「まさか、貴方は彼女に挑もうと言うんですか!?」
「敵になったらやるだけさ。」
「全く、本当に貴方という人は・・・。」
少し呆れ気味に溜息をつきながら霊閃は呟いた。
「ただ、余程の状況じゃないと真理が協力してくれそうにねえ。」
「それはそうでしょうね。真の理を知るものですから。私でも止めますよ。例え貴方がやる気だとしてもね。私にしてみれば、彼女は恐れる存在ですが、貴方と比べてどちらを取るかと聞かれれば問答無用で貴方です。彼女がどうなろうと知った事ではありません。」
霊閃はきっぱりと、そしてにこやかに言った。
「俺もとんでもねえのに気に入られたもんだ。」
「ご存知でしょうに。」
お互いにそう言うと、向き合って笑い合った。
横浜中華街一室
セツナは連絡して、いつもの男と会って六本木 英輝とのやり取りを説明していた。
「そうか、それならば大丈夫だろう。封じた形になり、セツナに助力してくれるなら私としても心強い。上にとっても朗報になるだろう。良くやったなセツナ。」
「私の判断は正しかったのだろうか・・・。」
セツナはぼそっと呟いた。
「六本木にはどんなイメージを抱いた?」
男は唐突に聞いた。
「かなりの曲者だが、その実力は計り知れないものがある。今までにあれだけの切れ者にあった事は無い。」
セツナは英輝と話していた時の事を思い出しながら答えた。
「お前には忠実そうか?」
「私の目が節穴でなければ、大丈夫だと思う。ただ、背けばその場で殺すつもりだ。」
セツナは冷たく言い放った。
「それで良い。お前自身の為に利用出来るだけし尽くせ。六本木もそれを望んでいるだろう。願ったり叶ったりだ。上との摩擦が起きる時には私が入る。心配せずに今までと同じく思うようにやってみろ。それが、おまえ自身の為であり、組織の為になる。」
男の言葉に、セツナは黙って頷いた。
「後は、ここで夕飯を食べていくと良い。味は悪くない所を選んだ。」
「頂いていく。」
二人は静かに食事を取り始めた。
真矢が眠りについてから数時間が過ぎていた。一緒に居た美緒もいつの間にか重なり合うように眠っていた。違う部屋で比呂猛は、霊閃と蒼蘭と沙百合の容態を見ていた。沙百合は未だに脂汗をかいて荒い息をしていた。
「どうすりゃ良いんだっ!」
蒼蘭は苛立たしげに机を叩きながら怒鳴った。
「済まないな。私の力ではどうにもならない・・・。」
申し訳無さそうに霊閃は言った。
「いえ、仕方ないです。でも、どうすれば・・・。」
「真理が言うには、桜崎なら何とか出来るかもしれないって言ってるぞ。」
その言葉に二人は比呂猛の方を見る。
「そろそろ起こしても文句はねえだろ。行くぞ。」
比呂猛は先に部屋を出て、真矢の居る部屋へと歩き出した。
「蒼蘭、貴方は沙百合さんをみていて下さい。」
「でも・・・。」
「貴方まで狂われては困るのですよ。良いですね?」
にこやかに言うが目は笑っていなかった。余りの気迫に蒼蘭は頷く事も出来ずにその場で固まっていた。それを見てから、霊閃は比呂猛の後を追った。
ピピッ!ピピピッ!
美緒は反射的にポケットに手を突っ込んだ。
「ん?誰?ああ、悪いけど掛け直す。」
「う・・・ん・・・。」
真矢は美緒の声に眼を覚ました。
「ごめんね。起こしちゃったね。」
「いえ、すっかり落ち着きました。ありがとうございます。」
真矢はにっこり笑いながら言った。
「ん?誰か来る?」
美緒がドアの方を見ると、真矢もそちらを見た。
ガチャッ!
「ん?起きてたか。」
比呂猛は二人を見て言った。
「紫さん!?」
「ああ、悪い、急いでるんだ。桜崎、ちと来てくれねえか?」
比呂猛の言葉に美緒は真矢の方を見た。
「私は大丈夫です。行ってあげて下さい。」
「分かった。行ってくる。」
美緒は真矢の髪をクシャクシャっとして立ち上がって比呂猛の方へ歩いて行った。
「比呂猛、私がここに居ます。」
「任せた。桜崎こっちだ。」
比呂猛はそう言うとすぐに走り始めた。美緒もそれに続いた。
「貴方はあの時の?」
「はい。霊閃と申します。あの時は連れが失礼致しました。」
霊閃は深々と頭を下げながら言った。
「ええっ!?いやいやいや、こっちこそすいませんでした。興奮しちゃって。」
真矢は手をブンブン振りながら赤くなっていた。
「どうやら桜崎さんのお陰で大分落ち着いたみたいですね。」
「はい、とっても落ち着きました。」
にこっと笑いながら真矢は答えた。
「雪志乃 セツナさんとお互いに色々な意味で冷却期間を置く為に少し距離を置きませんか?」
霊閃の言葉に、顔を強張らせる真矢。
「私では説得は難しそうですね。先に道だけ示しておきますね。もし、彼女の元を離れるという事になったら、その先の場所は私が用意して差し上げますので、行き先で迷う事はありません。それだけは言っておきますね。」
真矢はなんとも言えない顔をして首を傾げていた。
「今は分からずとも構いません。他の方が来るのを待ちましょう。」
「あ、はい。」
二人はその後何も言わずに他の皆を待った。
比呂猛と美緒は沙百合が苦しんでいる現場に到着した。
「桜崎、こいつなんだが。何とかならねえか。」
「頼む。助けてやってくれ。」
比呂猛と蒼蘭から言われて美緒は困った顔をする。
「あたしにどうしろと?」
苦笑いしながらお手上げという風に両手を挙げた。
「紫!さっきと言ってる事が違うじゃねえかよ!」
興奮した蒼蘭が比呂猛に掴み掛かる。
「何とか出来るかもって言ったんだよ。出来るとは言い切ってねえだろ。」
比呂猛はそういって、簡単に蒼蘭を振りほどく。
「まあ、そんな事してる場合じゃないってのは分かるよ。えっと、そっちの名前なんていうのかな?」
「俺か?俺は蒼蘭だ。」
美緒に聞かれて蒼蘭は答えた。
「とりあえず、あたしが思いついた事だけやってみよう。蒼蘭はこの人の事を抱きしめてやってくれ。蒼蘭がその人をどれだけ大切にしているか、その人への想いが一番大事なんだ。」
「分かった。」
蒼蘭はそう言って息を荒くしている沙百合を抱き起こしてから力強く抱きしめた。美緒はそれを見てから、二人の方へ近付いていった。
「ちょっとこの人の片手を借りるよ。」
そういって、沙百合の手を取った。
(あんたはそんな所に居ちゃいけない。早く帰って来な・・・。)
美緒は瞳を閉じてそう念じた。
瞳を閉じた美緒に、蒼蘭が綺麗な蒼いものを感じた。
(暗くは無い。青い光があんたを照らしてくれている。)
その様子を比呂猛はじっと見守っていた。
(帰って来い!沙百合っ!!!)
その瞬間、沙百合がビクッとなって瞳を開ける。自分が蒼蘭に抱きしめられていることに気が付くと、美緒の手を振り解いて蒼蘭に抱きついた。
「さ、沙百合!?」
驚いた蒼蘭が声を上げる。
「蒼蘭・・・怖い・・・。」
沙百合はそう言って泣きながら蒼蘭にしがみついた。蒼蘭は黙ったまま更に強く沙百合を抱きしめた。
「お見事。大したもんだ。」
比呂猛は感心したように美緒に言った。
「思い付きをやってみただけだよ。まあ、良かったよ。あの黒い奴の気配が少し残っていたけどもう大丈夫。今は全部蒼いものに覆われてる。これで落ち着けば心配は無いよ。」
「そうか、よし、こいつらはこのままにしとくか。じゃあ、戻ろうぜ桜崎。」
「そうだね。」
美緒は抱き合っている二人の方を見ながら微笑んだ。そして、二人は再び真矢の元へと戻っていった。