紫と桜(前編)
セツナはホテルを出た後、歩きながら携帯を掛けていた。
「セツナだ。うん、詳細は後で話す。何処に行けば良い?分かったこれから向かう。それじゃあ、後で。」
それだけ言うと携帯を切って待ち合わせ場所へ向かった。
都内割烹料理屋個室
「こんな洒落たとこにわざわざ席用意しなくても良いのによ。」
比呂猛は、少し呆れたように言った。
「いえいえ、貴方をお迎えするにはそれ相応の場所で無いとね。」
正面に座っている男はにこにこしながら言った。
「んで、雪志乃は何だって?」
「はい、比呂猛の伝言を伝えました。それと、彼女から伝言を預かっています。」
「伝言ねえ。何つってた?」
比呂猛は素っ気無く聞いた。
「借りは返す。だそうです。」
「あいつ、やる事大胆な癖に、変な所で律儀なんだよな。」
少し笑いながら比呂猛は言った。
「比呂猛も変わりませんよ。」
にこにこしながら男は言った。
「俺は、変な所では律儀じゃねえよ。霊閃、何だよ、そのニヤニヤは。お前、雪志乃の事気に入ったんだな。ったく、あいつはある意味魔性の女だな。」
比呂猛は料理を食べながら言った。
「比呂猛も気に入っているのではありませんか?」
「普通かな。まあ、嫌じゃねえってとこか。」
そう言う比呂猛を興味深そうに霊閃は見ていた。
「雪志乃の頭の良さ、腕、行動力、人を惹きつける魅力・・・どれを取っても一級品だ。俺にかなうとこなんてないさ。」
比呂猛は両手を上げて続けていった。
「確かに比呂猛は彼女よりも頭は良くないかもしれない。でも、それを補うだけの他を貴方は持っている。そして、少なくとも今の彼女には無いものも持っている。そんな貴方に敬意を表して認めたから私はここに居る。」
霊閃は微笑んで言うが眼差しは真剣そのものだった。
「お世辞を言っても何も出ねえよ。」
「ふふっ、少なくとも私からこんな席は出ますよ。」
「ったく。」
二人が少し笑い合った直後、笑顔が瞬時に消えた。二人は窓側の一点を見据えた。
「楽しい会食中失礼。」
スーっと一人の男が現れた。
「何だ、お前かよ・・・。悪い俺の知り合いだ。」
比呂猛がそう言うと、霊閃は現れた男を睨むのを止めた。
「何か用か?」
「天王 真矢を一旦預かっている。」
「ん?そりゃどう言うこった?」
比呂猛は怪訝そうな顔をして聞いた。
「ここで話しても構わないか?」
男はちらっと霊閃の方を見る。
「こいつは信用できるし、お前が疑いを掛けるにゃ恐れ多い存在だぞ。」
比呂猛の言葉に男はギョッとする。
「比呂猛、脅してどうするんですか。それに、私はそんな大袈裟な存在じゃありませんよ。」
その様子を見て、霊閃は少し笑いながら言った。どう反応して良いのか分からずに、男は困った顔をしていた。
「まずは自己紹介くらいしとけ。突然一席を邪魔して、後で何されても知らんぞ。言っとくけどな、こいつにこにこしてるけど凄い恐い奴だぞ。」
真剣な表情をして言う比呂猛を見て男は恐る恐る霊閃の方を見た。霊閃は相変わらずにこにこしていたが男の方は逆にその笑顔が恐くなって顔が引きつっていた。
「俺、じゃなかった。私は蒼蘭と言います。急いでいたもので大変失礼致しました。」
蒼蘭はさっきまでの態度とは一変して、ペコペコとしながら言った。
「全く・・・。」
霊閃は苦笑いしながら呟いた。
「比呂猛の言う程のものではありません。敵で無いとお互い分かれば良いかと思います。さあ、急いでいるのだから早く話して差し上げなさい。」
「では、失礼して。天王 真矢というより正確には狂気を感じて行ってみたら、本人が虫の息だった。雪志乃 セツナと言う娘が本気で殺そうとしていたので冷却期間を含めて二人を離そうと思って預かった。一命は何とか取り留めて今は元気だ。だが、困った事に言う事を聞いてくれない。それで、誰の言う事ならば聞いてくれるかと聞いたら、その中に紫の名前があったから頼もうと思って来たんだ。」
蒼蘭の言葉が終ると霊閃は比呂猛の方を見る。
「俺が行って何言やあ良いんだ?」
「天王 真矢は興奮状態で、雪志乃 セツナに殺されれば良かったのに何で助けたんだと言っている。更にもう一度雪志乃 セツナに会わせろと言っているんだ。」
苦笑いしながら蒼蘭は答える。
「行かせてやりゃあ良いじゃねえか。」
あっさりと比呂猛は言った。
「へっ!?」
蒼蘭は間抜けな声を上げた。
「比呂猛。私からもお願いして良いですか。天王 真矢を説得して暫くの間、雪志乃 セツナから遠ざけてくれませんか。貴方からの伝言通りに行ってないのですから。丁度良い口実になると思いますし、如何ですかね。」
さっきまでにこにこしていた霊閃は、真面目な顔付きになって言った。
「構わねえけど、正直、俺は上手く説明出来るかわからねえ。出来なかった時は助けて欲しい。」
比呂猛は頭を下げて頼んだ。
「頭上げて下さい。こんな事で貴方が頭を下げないで下さい。私から頼んだ事なのですから。」
霊閃は苦笑いしながら言った。
「お前に頼むから頭下げたんだ。誰にでも下げる頭は持ってねえ。」
頭を上げてから比呂猛はキッパリと言い放った。
「ふふっ、分かりました。喜んで手助けしますよ。」
一瞬驚いた顔をした霊閃だったが、その後、嬉しそうに笑いながら言った。
(紫に頭を下げさせ、恐い奴と言わしめるこいつは一体・・・。)
蒼蘭は霊閃を見つめていた。
「蒼蘭、こっちは準備OKだ。こいつ連れてっても問題は無いよな。急いでるんじゃねえのか?」
「それじゃあ案内しますので。一席は改めて用意させて貰います。」
蒼蘭はそう言って先に部屋を出る。そして、それに二人は続いた。
「すいませんね、急用が入ってしまったので今日はこれでお暇しますので。」
途中で会った女将に霊閃は一礼して言った。
「お気をつけて。またのお越しをお待ちしております。」
それに、軽く一礼しながら女将は言って三人を見送った。
「紫さんは・・・まだ・・・ですか?」
真矢は暴れそうになる狂気を必死に抑えながら相手の女性に言った。
「後、15分とさっき連絡が入った。」
その言葉にホッとしたように真矢は瞳を閉じた。
「姐さん、今日一人生きの良い小娘を捕まえたんですがどうします?」
部屋の外から声がして、女性は一旦部屋の外に出た。
「こっちに連れてきな。ここで一緒に私が見る。」
「分かりました。」
少しして、時代遅れなセーラー服の裾が長い女番が連れられて来た。女性が良く見るとその女番の顔が腫れていた。
「誰が殴ったんだい?」
「ここに来た時には既に顔は腫れていました。外でやり合ってたみたいです。」
「まあ、いい。じゃあ、私が預かる。蒼蘭が戻ってきたらこっちに頼む。」
「分かりました。」
男はその場から離れていった。
「何やってたか知らないけれど、面倒だから他の一人と一緒に居て貰うよ。別に何かしようって訳じゃない。さ、こっち来な。」
さっきまで男を睨んでいた女番だったが、女性がそう言うと普通の表情に戻って素直に黙って従った。
再び部屋のドアが開いて比呂猛が来たのかと思い、瞳を開けた。ただ、知らない変わった風貌の女番を見てちょっとびっくりしていた。
「あの・・・その人は?」
「さあ?連れてこられただけだよ。男共の中に入れとくと何するか分からないからこっちに連れて来て貰ったんだよ。まだ名前も何にも聞いて無い。私は聞くつもり無いから聞きたかったら勝手に聞いておくれ。それじゃあ、そっちの空いてる椅子に座ってておくれ。」
そう言われて女番は黙って真矢の隣に座った。真矢は恐る恐る女番の方を見た。女番は部屋の中を見渡していたが、右頬が赤くなって腫れていたのが分かった。
(痛そう・・・。)
真矢がそう思った時、丁度女番と目があった。
「あ、あの・・・。私は天王 真矢って言います。もし良かったら名前を教えてくれませんか?」
恐々と真矢は聞いた。そんな真矢を見ながら女番は少し目を細めた。真矢は良く分からずにきょとんとしていた。
「その、内側の黒いのは何だい?」
「!?」
真矢は驚いて女番をまじまじと見ていた。離れて座っていた女性の視線も女番へ向いていた。
「ああ、名前だったね。桜崎 美緒。何を驚いてるんだい?」
美緒は自己紹介した後で不思議そうに聞いた。
「あの・・・見えるんですか?」
「見えるって、そのもやっている黒いのかい。えらく不安定な感じだけど、あんたとシンクロしてるのかと思ったからね。自己紹介に入ってなかったから聞いてみたのさ。」
「えっと、そうなんですけど・・・。一応狂気です・・・。」
真矢は戸惑いながらも言った。
「何かその感じだと物騒なものみたいだけど、あたしは無知だから良く分からない。ただ、分かるのは、あんたが今情緒不安定って事くらいか。」
「あ・・・はは・・・。」
図星を突かれた真矢は気不味くなり顔を逸らして俯きながら乾いた笑いを浮かべた。美緒はそれを見て真矢へ近付こうとした。
「待ちな。今、その子に近付くとあんた狂うよ。」
女性は驚いて立ち上がり美緒を止めるべく言った。
「その時はその時さ、あたしを好きにすれば良い。孤独な時は誰かが居てやらないとね。」
そう言って女性の制しを無視して真矢を横から抱きかかえた。真矢は体を強張らせた。
「桜崎さん・・・。私から離れて・・・狂っちゃう。」
真矢は苦しそうに自分の肩を抱いて震えながら言った。
「構わないさ。あんたはずっと一人で大きなものを抱え込んでいる・・・。たまには人に甘えてみれば良いさ。辛い事があって我慢している・・・。大丈夫だ、あんたは一人じゃない。」
美緒はそう言って自分の肩を抱いて震えている真矢の手に自分の手をそっと置いて抱き締めた。真矢は美緒の言動にはっとした顔になり自分の感情が抑えられなくなり、その場で泣き始めた。その瞬間もやもやしていた狂気が一気に部屋に溢れ返った。
入口まで来ていた蒼蘭、霊閃、比呂猛の三人は中で急激に大きくなる気配を感じていた。
「やばいっ!」
蒼蘭が冷や汗を垂らしながら思わず叫んだ。