ヴァレンタインナイト(前編)

「うぅ、まだ寒いわね・・・。」
恭子はぶつぶつ文句を言いながら湯煎しているチョコレートを真剣な表情で見ていた。
「よしっ!」

溶けたのを確認して、型へと素早く流し込んだ。チョコレートの甘い香りが部屋中に漂う。
へらで綺麗にボウルからなくなるまで型に流し終わって、一安心する。
(今頃葵や春那ちゃんもやってるのかなあ・・・。)
何となく気になってそんな事を考えていた。
「あ〜・・・。」
(でも私と違って本命って居ない・・・か。)
その考えに行き着いて、恭子は複雑な顔をしていた。


「ふんふんふ〜ん♪」
そんな頃、春那は鼻歌混じりの鳴れた手つきで出汁巻き卵を作っていた。
「よっと。」
手際よく皿に出汁巻き卵を移して、フライパンを置いた。
(うん、今日も良い出来♪)
出来を見て満足そうに微笑みながら春那はお皿をテーブルに置いた。
ザーー・・・
湯気が立っている出汁巻き卵を置いて、フライパンを洗い始めた。
(そういえば今日はヴァレンタインだっけ・・・。)
昨日のテレビや、買い物に行った時に散々宣伝をしていたのを思い出していた。
「あ、でもブロック買ってなかったっけ。」
(まあ、今年は手作りじゃなくても良いかな・・・。)
洗い終わったフライパンに付いた水滴を拭きながら呟いた。


お姉ちゃんは作ってるだろうし、私はチロルとかでも良いかな・・・。)
友人と都内まで買い物に出ていた葵はお菓子売り場で、チロルチョコを見ながらそんな風に思っていた。
「こんにちは・・・。」
「!?」
聞いた声に聞き慣れない挨拶を聞いて、驚いた葵は振り向いた。
そこにはセツナが立っていた。
「な、何で・・・。」
葵は思わず身構えた。
「別に今日はお前とどうこうするつもりは無い。」
「・・・。」
セツナの言葉に葵は訝しげに見ながら一歩後ずさる。
「まあ、信じようが信じまいがお前の勝手だ。逆になぜお前がここに居るのかの方が不思議なのだがな。」
「私は知り合いとの買い物でここに来ているだけ・・・。」
葵は警戒したままで答える。
「なるほどな。十六夜・・・といっても分からんか。お前自身の事よりも姉の事を心配した方が良いかも知れんぞ。」
「どういう事ですか?」
セツナの言葉に葵はピクッとして、怒気をはらんだ口調で聞き返した。
「言葉のままだ。」
セツナは葵の怒りなど全く意に介さないように素っ気無く答える。
「とりあえず、そこをどいてもらおうか。後ろの商品が取れない。」
「えっ!?」
葵はそう言われて振り向くと、チロルチョコの箱売りの特価ポップが目に入った。
「ご、ごめんなさい。」
慌ててどくと、セツナは葵の事を全く気にせずチロルチョコの箱を無造作に何個もかごに放り込み始めた。
(同一人物・・・よね?)
今まであった事とのギャップに葵はその場でセツナの様子を暫く見てしまっていた。
「何だ、お前も要るのか?」
見られているのに気が付いたセツナはそう言って一箱葵に差し出す。
「あ、いえ結構です。」
ハッとして我に返って、断ってから足早にその場を離れた。
「買い物に来たんじゃないのか?」
空のかごをもって離れていく葵を見てセツナはその場で呟いた。


・・・夕方・・・

「やあ、久しぶり。」
「あ・・・。」
久しぶりに見た顔に、女性店員は驚きと共に少し涙ぐみながら相手を見ていた。
「ごめんね。連絡入れられなくて・・・。」
気不味そうに男性は言った。
「会社を辞めたって聞いて、連絡しても全然通じなくて・・・。」
「色々あってね・・・。連絡先とか変えちゃったんだ。良かったらだけど、終わったら一緒に食事でもどうかな?」
「ええ、是非。」
「じゃあ、これが新しい連絡先だから終わったら電話かメール貰っても良いかな?」
男性はそう良いながら、メモを差し出す。
「はい。では、後程。」
受け取りながら、女性店員は真面目な顔になって言った。
「うん、またね。」
いつもの感じになって、男性は軽く手を振りながら店を後にした。

(はぁ・・・心臓に悪いわ。)
買い物から帰って来た葵は買う予定ではなかったチョコレートのブロックの半分を湯煎していた。
もう半分は帰って来た後、春那におすそ分けしていた。
「だけど・・・あの人が言っていたお姉ちゃんの事って一体・・・。」
険しい顔になって、溶け切っているチョコレートに気が付いていなかった。


「こんにちは〜。」
春那は、出汁巻き卵とチョコレートのセットを持って聖一の所へ来ていた。
「ああ、春那ちゃんいらっしゃい。」
「あの、これどうぞ。」
「ありがとう。これから恭子の所行ってくるから、後で一緒に頂くね。」
玄関でのやり取りは、丁度聖一が出ようとしている所だった。
「はい、気を付けて行って来て下さいね。後は恭子さんに宜しく伝えて下さい。」
「うん、分かった。じゃ、またね。」
すぐ外で二人はそれぞれ別れて言った。


(聖一早く来ないかなあ・・・。)
恭子はホットカーペットの上でごろごろ転がりながら暇そうにしていた。
スッ・・・
「ん!?」
変な気配を感じた恭子はガバッと起き上がって周りをキョロキョロした。
(気のせいかな?)
何も無かったので、首を傾げながらまた横になった。
「待ち人未だ来ず、かしら?」
「っ!?!?」
突然声がしたのにびっくりして恭子は飛び上がった。
そして、声のした方に向いた。
しかし、誰も居らず、周りに気配もしない。
(私・・・疲れているのかな?)
苦笑いしながら、立ち上がって洗面所へ行って顔を洗った。
「ふう、さっぱり。」
タオルで顔を拭きながら鏡を見てニコッと笑いながら言った。
「良い笑顔です事・・・。」
「あっ!?」
声がして振り向く前に鏡の角に映っている人の姿が目に入って思わず声を上げた。
そして、すぐに振り返って、そちらを見た。
「お久しぶりですわね、恭子さん。」
「どうやって・・・入ってきたの・・・。」
愚問だと分かっていたが、恭子は思わず聞いていた。
「鍵を開けっ放しにするのは無用心ですわよ。」
妖しく微笑みながら十六夜は静かに言う。
「嘘!ちゃんと鍵掛けているわよ!!!」
ムカッと来た恭子は思わず怒鳴った。
「でしたら、誰かが開けたのかも知れませんわね。」
「・・・。」
(何を言っても無駄っぽいわね・・・。)
そう思った恭子は黙り込んだ。
「実はですね、今日は貴方にプレゼントをお持ちしましたの。」
「私にプレゼント?」
十六夜の台詞に訝しげな顔をして恭子は聞き返した。
「そうです、これです。」
そう言いながら十六夜は綺麗にラッピングされたどこかのブランド物っぽい紙袋を差し出す。
「要らないって言ったら?」
「置いていくだけです。気に入らなければ別に捨てて頂いても構いませんわ。」
「・・・。」
「では、お邪魔致しました。」
一方的にそう言って頭を下げると十六夜は玄関へ向かって歩いていく。
恭子はそれを目で追っていた。確かに十六夜の言うように鍵を外すことなく、靴を履いてから強固の方へ改めて振り向いて、黙って一礼した後微笑んでドアを開けて出て行った。
カチャッ
「おっかしいなあ?」
(開けた覚えないんだけどなあ???)
恭子は十六夜が出て行った後、首を傾げながら改めて鍵を掛けた。
無造作に置かれた紙袋を持ってきて、テーブルの上に置いてから腕を組んでどうしようか考えていた。
(聖一が来るし・・・変なものだったら先にゴミ箱に入れておいたほうが良いかな・・・。)
恭子は恐る恐る紙袋のテープをはがして中身が何か覗き込んだ。中には紙袋に負けないくらい立派で綺麗にラッピングされた箱が入っていた。
(まさか、連続して箱だけ入ってるなんてベタな落ちは無いわよね・・・。)
そう思いながらも、何となく丁寧にラッピングを取って箱を開けてみた。
中にはチョコレートの詰め合わせが入っていた。どこのお店のものか分からないくらい立派なものだった。
「へえ〜・・・。手作りなのかなこれ?」
思わず恭子は感心したように中身を見ていた。
(そうじゃないでしょ・・・。何で正体不明のあいつが私にチョコレートをくれるのよ。きっと何か仕掛けがあるに違いなわ。とりあえず聖一が来る前に片付けないと。)
そう思った恭子はすぐに蓋を手に取った。すると、蓋の裏側にカードがあるのに気が付いた。
「あれ?」
何故か無意識にカードを取ってみていた。
「「貴方と彼に良い夜を   源 十六夜」」
(源?源氏の子孫?だけど確か源氏って3代とかで終わったはずじゃなかったっけ?)
カードを無意識の内に取っていた事よりも、何故かそっちの方が気になってメッセージよりもその苗字と名前を何度も見返していた。
「はっ!?」
思わず我に返って、急いで蓋を閉めようとしたが、何故か閉めようとする両手がそれ以上動かない。
(ちょっと!どういう事!?)
恭子は驚いて一瞬止まるが、その後も閉めようとするが、一定以上近づくとそれ以上動かなくなってしまう。
(仕方ない!)
そのままゴミ箱にと思って箱に手を掛けると、今度は手が動かなくなる。
「嘘っ!?」
手の感覚が段々無くなっていく。恭子の背筋に悪寒が走り始めた。
少しして手の感覚がなくなると、勝手に手が動き出して、詰め合わせの中にある1個のチョコレートを取る。
(ちょっ、まさかっ!?)
そして、その手は自然と口へと運ばれてくる。
「んむぅ・・・。」
恭子は口を閉じて何とか口に入らないように抵抗する。
「美味しいですわよ・・・はい、あ〜ん。」
「!?」
一瞬そう声が聞こえて目の前に十六夜が居た気がした。
驚いた恭子は力が抜けて、思わず口を開けてしまった。
ぱくっ
しまったと言う顔をしてから恭子は目を閉じた。
(あれ?美味しい?)
モグモグ・・・
変なものを想像していた恭子は普通に美味しかったので薄目を開けながら思わず味わって食べていた。
特に食べ終わってみて変な事も無く、気が付くと自分の手の感覚も戻ってきていた。
そして、恐る恐る蓋を持って閉めるとさっきまでは嘘のようにあっさりと上手く行った。
(よしっ!)
すぐに紙袋に箱をしまって、ゴミ箱に放り込もうとすると今度はそこから手が動かない。
「はいはい。分かったわよ。後で食べりゃ良いんでしょ!」
自棄気味に言いながら近くに紙袋を置いた。
(もう、忘れよ・・・。)
恭子は、また、ホットカーペットに横になってごろごろし始めた。
そして、いつの間にか眠っていた。