交差する出会い〜恭しい夜(後編)〜


映画を見終わった葵と春那はスクリーンを出ていた。
「面白かったねえ。」
春那はまだ興奮冷めやらぬといった感じで言う。
「そうだね。姉さんと聖一さんも楽しめたと思うし。あの人にお礼言わないとだね。」
「うんうん。」
葵の意見に嬉しそうに春那は返事した。
「あ、ごめん葵。ちょっとトイレ行って来るね。葵も行く?」
「ううん、私は良いわ。それじゃあ、あそこに見える看板の所で待ってるね。」
春那に聞かれて、答えながら目に入った看板の方を指差して言った。
「うん、分かった。」
そう言って春那は小走りにトイレの方へと向かって行った。葵の方はそれを見送った後で、看板の横に移動した。
「あの、すいません。」
声を掛けられた葵は少し面倒臭そうにそちらに振り向いた。そこには見慣れない男の人が立っていた。
(いつものナンパしてくる感じの人じゃないかな?)
葵は普通の顔に戻って相手を観察していた。
「葵さんですか?」
突然名前を言われて、葵は厳しい表情になる。
(ここは素直に答えるのも良いけれど・・・。そうだ!)
「人違いかもしれませんよ?」
(さあ、どう出る?)
自分の言った言葉にどう反応するか葵は出方を待った。
「うーん・・・。」
相手の方は少し困ったように頬をポリポリと掻く。その後で、軽く溜息をついてから改めて葵の方を見る。
「すいませんけれど、貴方に渡したいものがあるので既に確認済みなんです。」
「それって・・・。」
「雪志乃セツナさんからの物だと言えばわかって下さいますか?」
「!?」
葵が続けようとする所で間髪入れず言われた言葉の単語に葵は一瞬硬直した。
「私は八方 治と申します。セツナ様から手紙を預かっています。どうするかはお任せ致します。私は貴方に渡す事だけを言われていますので。受け取って頂けますか?」
そう言って治は封筒を取り出して葵の目の前に差し出す。
(この人、話の持って行き方とか上手・・・。)
葵はセツナの知り合いであろうこの治とセツナ本人とのギャップを感じながらも、感心していた。)
「嫌だと言ったら?」
葵はあえて聞いてみた。まさか同じ台詞を少し前に恭子が言っているとは思いも寄らないだろう。
「貴方に受け取るのを断られましたとお伝えするだけです。後は受け取って頂いたとしても、そうでなくても最初に不快な思いをさせてしまった事はお詫びをして、それが終ったら早々に退散するつもりです。」
治は自然に微笑みながらそう答えた。
(この人と・・・ギャップがあり過ぎ・・・。)
葵は内心で苦笑いしながら微笑む治を見て思わずにはいられなかった。
「あの、本当にあの人の知り合いなんですよね?」
「はい。正確にはセツナ様ご本人にお仕えしている訳ではありませんが、今回の様に頼まれ事を引き受ける立場にいますよ。」
治は葵の質問に正直に答えた。
「それよりも、御連れの方が戻る前にお答え頂いた方が良いかと。」
「あ、えっと・・・受け取らないとどうなるんでしょう?」
葵は素朴な疑問をぶつけてみた。
「それは私には分かりません。直接会わずに手紙を出した理由が何かを貴方なりに考えて頂くのと、後はセツナ様の心ですからねえ。」
「貴方はどう思いますか?」
困ったように言う治に葵は間髪入れず突っ込んだ。
「手紙の内容次第とは思うのですが、多分また私が出向いて手紙の内容を言いに来る事になるかなと。そうでなければセツナ様ご本人が直接お会いする為に貴方の前に現れるかと。」
(直接は・・・困るし・・・。それに、この人をまた来させるのも悪いかな・・・。しょうがない・・・。)
葵は治の意見を聞いて腹を決めた。
「では、お受け取りします。」
「ありがとうございます。」
仕方ないといった感じで受け取った葵に、治はそう言ってから深々と頭を下げた。
(うーん、この人ちょっと苦手かも。)
葵は頭を下げている治を見て苦笑いしていた。そして、治はゆっくりと頭を上げる。
「最初は不快な思いをさせてしまって申し訳ございませんでした。」
そう言って再び深々と頭を下げる。
「ああ、もう良いですから。」
面倒臭いというのと、周りの注目を集めているのに気が付いた葵は治の方に言った。
「それでは、私はこれで。」
軽く会釈して去っていく治を何とも言えない表情で葵は見送っていた。
「はあ、何か疲れた。」
葵は溜息をつきながら呟いていた。
「あの、すいません。」
また声を掛けられて今度はナンパかと思って見るとそこには春那が立っていた。
「春那。」
葵は穏やかな笑顔を浮かべながら静かに言う。
「うっ。」
それを見てちょっとたじろぐ春那。いつもなら完全にそこで、ペースが葵に流れるのが殆どなのだが今回は違った。
「さっきの、ぺこぺこ頭下げていた人って知り合いなの?」
(うわっ、見られてた。)
聞かれた葵は内心で苦笑いしていた。
「うん、知り合いの知り合いって所かな。腰の低い人でね。知り合いからの手紙を預かっていたのよ。最初ナンパと勘違いしたからそれで誤ってたの。別に良いのに。」
(嘘は言ってないよね。)
言い終わった後で、葵は我ながら上手く言えたとちょっと思っていた。
「そっかあ。でも、何でわざわざ映画館でなんだろうね?私が居ても良かったと思うのに。」
春那は不思議そうにあごに人差し指を当てながら言った。
「丁度外を通り掛かって見掛けたんだって。それで中に入って来て声掛けてくれたの。」
「ふーん。手紙なら郵送すれば良いのにね。」
(本当にこの子は天然なのに遥華さんに似て鋭いんだから。)
葵は内心で少し焦っている自分を落ち着かせていた。
「何かね、昔郵便事故で手紙無くされたから、出来るなら直接渡したいんだって。」
「律儀なんだね。もし機会があったら私にもその人紹介してね。」
「うん、機会があったらね。」
(絶対に会わせたくない・・・。)
微笑む春那を見ながら葵は言った言葉とは裏腹に内心でキッパリと断言していた。
「それじゃあ、行こっか。」
「そうだね。行こう。」
春那に手を引かれて葵はちょっとホッとしたように後から歩き出した。


映画館から出て行く葵と春那を見送っている目つきの鋭い男性が居た。治はその男性の傍へと歩み寄った。
「お疲れ様。治。」
「見ていらしたんですか?」
戻ってきた治に声を掛けたのは六本木 英輝だった。
「うん。流石は治だよね。僕だったらああは行かなかったな。」
「そうですか?」
まだまだ、人の多い映画館の片隅で二人は話をしていた。
「あの葵って女性はなかなかの曲者だよ。そう思わなかったかい?」
「ええ、普通の方かと。」
英輝の言葉に治はにっこりと笑いながら答える。
「やれやれ、美緒の傍に居るのが長いと気にもならないのかな。僕だったら、まともな話し合いになったか怪しいよ。」
「そんな事は無いと思うのですが。」
ポーズをとって呆れた風に言う英輝に不思議そうに治は言った。
「僕だと多分心理戦とかになっちゃいそうだし、お互い腹の探り合いになりそうでね。彼女は結構頭の回転が速いと思う。まあ、パッと見た目だけど、セツナが気になっているのは分かるような気がするね。治にしてみれば普通の人みたいだけど。」
少し笑いながら英輝が言った。
「私は変に特別扱いしないだけですよ。まあ、美緒の事に関して言えば否定はできないかもしれません。」
ちょっと苦笑いしながら治は言い訳をするように言う。
「さってと、セツナのお使いも映画も見終わったし帰るとしようか。」
「何処も寄らなくて宜しいですか?」
治の言葉に少し考える英輝。
「寄りたい所が無い訳じゃないけれど、静成が心配して待っているだろうから寄り道せずに帰ろう。」
「かしこまりました。」
そして、二人は映画館を後にした。


四人は駅でお約束の場所で待ち合わせをしていた。人は多かったもののすぐに合流出来ていた。
(さて、どうしたもんだか。)
(手紙・・・中身が気になるな。)
そわそわとは言わないが少しぎこちない感じの二人と何となく違和感を感じる恭子を春那は不思議そうに見ていた。
「あの、皆さん大丈夫ですか?」
春那は思わず三人の方に聞いていた。
「ごめんね。ちょっと調子悪いかも。でも、さっきよりは良いかな。冷房にやられちゃったのかもね。」
恭子はちょっと苦笑いしながら言う。
「俺は、恭子が心配なだけだからさ。」
聖一はそう言って恭子の方を見ている。
「ごめんなさい。ちょっとトイレに・・・。」
葵はそう言ってから辺りをキョロキョロした。ちょっと離れた所にトイレの看板が見えた。
「ちょっと行って来ます。すぐ戻りますので。」
そう言って葵は小走りに駆け出した。
(何だか三人とも変な感じ・・・。気のせいなのかな?)
春那は葵を見送りながら内心で小首をかしげていた。
「一応食べる所の候補が幾つかあるんだけど何か食べたいものとかある?」
「う〜ん。あんまりこってりし過ぎたもので無ければ良いです。」
聖一の言葉にちょっと考えてから春那は答えを出した。
「私は何でも良いよ。葵次第かなあ。」
春那の答えを待ってから恭子が言う。
「ああ、そっか。量的な問題があるか。」
恭子に言われて、ちょっと腕組みをしながら聖一は考えていた。


トイレの個室に入った葵は早速治から受け取った手紙を開けた。

「葵殿
来週の日曜日、正午横浜中華街下記店舗にて待つ。
私自身の事は他言無用の事。」

(呼び出しか・・・。)
とてもシンプルなものだった。手紙の下にはお店の名前と場所が分かるように地図があった。
(行かないとどうなるって聞く相手もいないし・・・。それこそ、さっき八方さんが言ったみたいに行かないで直接本人に来られても困るし・・・。行くしかないかな。)
ちょっと溜息をついてから葵は手紙をしまってトイレを出た。

葵が戻って来てからちょっと変な雰囲気の四人は食べ放題バイキングのお店へと移動していった。
「食べ放題なら変に気を使わなくても良いし。思う存分食べてくれ。」
聖一は笑いながら、葵と恭子の方へ言った。
「うふふ、お言葉に甘えますね。見てて気持ち悪いとか言わないで下さいね。」
葵は意味有りげに笑いながら言う。
「私の分も宜しくね。」
恭子は相変わらず大人しい口調で葵の方へ言った。
(姉さんやっぱり少しおかしいかも・・・。出てきた時、映画館での別れ際とは雰囲気が変わってる。聖一さんもそれに気が付いているっぽい。)
葵は恭子の方を見て軽く頷きながら思っていた。
「それでは、行きましょう。」
四人は店の中へと入っていった。中は大盛況でかなりの人数が居た。入ってすぐに四人分を確保出来たのはラッキーだったかもしれない。席まで案内されて取り皿を置かれてから、四人はそれぞれ移動し始めた。
「ねえねえ、葵ちゃん。」
取り皿に山盛り状態の葵に聖一は声を掛けた。
「はい?何ですか?」
葵は不思議そうに振り向いた。
「実はさ、言い難いんだけど恭子さ、何か変じゃない?ちょっと俺一人だと自信なくてさ。」
(流石聖一さん。やっぱり気が付いていたんだ。)
聖一の言葉に葵はちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「そうですね。雰囲気がまるで違います。何かあったんですか?」
「それがさ、トイレに行って来るって言って戻って来たらああなんだよ。本人は調子悪いって言ってるんだけど、そういうのとは違う気がしてさ。」
(トイレかあ・・・。)
ちょっと考えながらも、取り皿の山盛りの高さが更に高くなって行く。
「少し様子を見ましょう。折角なんですし食べましょうよ。」
「まあ、そうだな。悪かったね変な事聞いて。」
「いえいえ、私も心配なのは変わりませんから。」
葵はそう言って更に料理を山に積んでいた。誠一の方は葵から離れて今度は春那の方へと近付いていった。
「う〜ん。」
春那は、デザートコーナーでケーキを取るかプリンを取るか真剣に悩んでいた。
「春那ちゃん。」
「えっ!?あ、両方は駄目ですか?」
「へ!?」
声を掛けた方の聖一の方がキョトンとしていた。春那の方はそんな聖一を見て恥ずかしそうにしていた。
(やだ、店員さんと間違えちゃった。)
「えっと、両方でも言いと思うけど?食べ放題だし。」
「そ、そうですよね。」
ぎこちなく笑う春那を見て聖一は何とも言えない顔になった。
「あー、食べ物じゃなくてさ、ちょっと聞きたい事があるんだけど良いかな?」
「あ、はい。」
聖一の言葉に気を取り直して春那は聞く体勢になった。
「今の恭子さ、何て言うか上手くいえないんだけどちょっとおかしくないかなって。」
「そうですねえ。調子が悪いと言っていましたけれど、恭子さんはあまりそういう言葉を言いませんし、もし仮にそうだとしてもそう見せないようにするかなと。そういう点ではいつもと違いますよね。」
何となくちらちらとプリンを見ながら言う春那だった。
(流石は春那ちゃん。見てるとこ見てるよな。違和感の原因はまずそこにあったんだな。)
聖一は納得したように頷いた。
「ごめんね。選んでる時に邪魔しちゃって。それじゃあ、また席でね。」
「は〜い。」
(聖一さんがぎこちなかったのは今の事だったみたい。何だかすっきりした顔で戻って行ったなあ。)
離れていく聖一を見送りながら、春那は迷わずプリンを取った。