交差する出会い〜戦慄の葵(前編)〜


恭子は遅くなった帰り道を急いでいた。
「参ったなあ・・・。こんなに遅くなるとは思わなかった。」
苦笑いして呟きながら更に歩く速度を上げていた。月が明るく腕時計を確認するのに明かり無しでも十分だった。時間を改めて確認してみると既に終電も終っている頃だった。


「綺麗な月・・・。」
春那は窓から空を見上げながら呟いた。
「ちょっと綺麗過ぎるかも・・・。」
後ろから意味ありげに葵が呟く。
一瞬その意味を聞こうとした春名だったが、ちょっと恐かったので黙って月を見ていた。
(何だか胸騒ぎがする・・・。)
葵は良い様の無い感覚にとらわれていた。それが月のせいなのかは分かっていなかった。月を見ている春那に気づかれないようにそっと部屋を出た。静かに階段を下りて玄関で靴を見る。
(動き易い方が良さそうかな。)
いつもの出かける靴とは違う動き易いスニーカーを履いて玄関から外に出た。窓から外を見ている春那の死角になるように出て行った。


「あれ?」
恭子はふと路地の影から腕が伸びているのに気が付いた。
(酔っ払いかな?)
速めていた足を止めて、ゆっくりと近付いていった。
「あのー、こんな所で寝てると風邪引きま・・・。」
最後まで言いかけた恭子だったが、倒れている人が血だらけで血溜まりが出来ているのを見て言葉に詰まった。
(え?・・・ええっ!?)
「こ、これって・・・。」
思わず2、3歩後ずさって固まった。


「こんなもんで良いかな・・・。」
聖一はいつものコンビニで買出しをしていた。いつもなら頼まれて出て来る事が多いのだが、今日はまだいつも頼まれる相手の恭子が帰って来ていなかった。時間が遅いのもあってただ待っているのにも飽きたのと時間潰しの為に来ていた。
(今日来るって言ってたけど本当にくるのか?というかまた倒れたりとかしてねえよな・・・。)
レジで支払いをしながら聖一はぼんやり考えていた。
「お客様、お釣を・・・。」
「ああ、悪い。」
困った表情で言う女性店員からお釣を受け取ってコンビニを後にした。
「買出ししたものの無駄にならないと良いが。にしても今日は遅えな・・・。」」
コンビニの袋を抱えながらちょっと愚痴っていた。
(恭子まだ帰ってこないし。買ったもののどうしたもんか・・・。戻ったら連絡してみっかな。)
特に急ぐでもなく、のんびりと歩いていた。
「ん?」
途中で聖一は思わず目の端に入った人影が気になった。
(人形!?)
ちょっと驚いて思わずそちらを見た。その後で足も見ていた。
(幽霊とかじゃねえよな。葵ちゃんじゃあるまいし俺にも見えたかと思った・・・。)
一瞬心の中で苦笑いして相手を再度確認した。とても綺麗な女性だったが、日本人形を思わせる風貌で、ちょっと人間離れしている感じがあり月明かりにその白さが際立っていた。
相手は十六夜だった。十六夜は聖一が見ている事に気が付いて、足を止めて聖一の方を見た。
そして、二人の目が会った。
十六夜はにこやかに微笑んだが、聖一の目にはその微笑が胡散臭く見えていた。
(関わらない方が良いな・・・。)
直感的にそう思った。聖一は自然と目を逸らして再び帰り道の方へ歩き出した。
(なかなか、鋭い人の様ね。)
十六夜は聖一の態度を見て少し楽しそうに微笑んだ。そして、聖一の行く方向とは違う方へと歩き出した。


葵は外に出て聖一の家へと向かっていた。
(胸騒ぎが気のせいだと良いんだけど・・・。)
夏の生暖かくまとわりつくような空気もあって、気分的に良くなかった。
慣れた道を途中まで来て、少し先のL字の曲がり角で変な感じがして、その前で足を止めた。
(何かしら?この変な感じ・・・。)
葵は用心しながら、ゆっくりと曲がり角に近付く。
そして、曲がり角に差し掛かった瞬間・・・
目の前を人が飛んでいった。かなりの早さだったが葵の目はそれを人と一瞬で判断していた。ただ、反射的に構えながら後ろに飛び退いた。目で追ったが飛んで行ったというよりは正確には向こう側から吹き飛ばされたのだろう。
ドシャッ!
思わず葵はその飛んできて地面に落ちた人を見た。
(ひ、酷い・・・。)
倒れて動かない人は男性でその左胸にはぽっかりと穴が開いていて血だらけの地面が見えていた、血が激しく出ていてすぐに血溜まり出来ていく。
目の瞳孔を見ても分かったが、どう見ても息は無い。即死だったのだろう。
(この曲がり角の先に、これをやった相手が居る・・・。)
葵は厳しい表情になっていた。
(ここで、戻って、他の道を迂回する手段もある。ただ、私が相手を確認できてる事を考えれば相手もこちらがいるのは分かっているはず。背中を見せられる相手ではないし。どうしたものかしら・・・。)
先に行くか戻ろうかどうか躊躇っていた。


「全く、人を呼んどいて一時間以上も待たせるってのはどうなってんだい!」
美緒は時計を見た後で腹立たしげに言った。十六夜に呼ばれて待ち合わせ場所である自動販売機が沢山ある場所の近くにいた。最初は自動販売機のすぐ傍に居たが虫がやたらといたので少し離れた所に立っていた。普通なら怒っていて帰ってしまっても良い所なのだが、そこは美緒、律儀に待っていた。
「ったく、何やってんだよ。あー腹立つな!ていっ!」
美緒は近くに転がっている空き缶をけっ飛ばした。思いの他綺麗に宙を待ったので思わず美緒はその缶の行方を見ていた。
「いてっ!?」
綺麗に宙を待った缶は買出し帰りの聖一の頭にジャストミートした。恭子の事が心配で、空き缶が飛んできた事に気が付かなかったのもあったが、突然の出来事に驚いて辺りを見渡した。近くに見当たるのは一人だけしかいない。不機嫌になった聖一は美緒の方を睨んだ。
「あ、ごめんよ。わざとじゃないんだ。1時間待ちぼうけ食らってむしゃくしゃしてたもんだから。」
身なり的にはどう見ても時代遅れの女番。
(ふう、絡まれなかったか。案外普通に謝るタイプだったか。)
睨んだものの聖一は一瞬不味いと思っていたがほっとしていた。
「あのさ、日本人形みたいな外見の綺麗な女をこの辺で見なかった?」
一応怒りは収まった感じだったので美緒は聞いてみた。
「あー、さっきすれ違った奴かな?あっちのコンビニの方に行ったと思うぜ。待ち合わせとかでこの辺他に行くとこないだろうし。」
聖一はちょっと考えながらコンビニの方を指差しながら答えた。やり取りはまともとはいえ、これ以上絡むのもどうかと思ったので答えてからすぐに歩き出した。
「ありがとさん。悪かったねえ。」
後ろで聞こえる声に聖一は手だけ上げて答えた。
(ったく、道に迷うような奴じゃないのに会ったら文句言ってやる!)
美緒は走りながら心の中でぼやいていた。
走っていく音が後ろでして、ホッとしながらも空き缶の当たった場所が思った以上に痛かった事に気が付いて聖一は頭を摩りながら歩いていた。


「ねえ、葵。綺麗過ぎるってどういう、って居ないし・・・。」
春那は振り向いて、溜息をついた。
(下りたのかな?)
不思議に思いつつ首を傾げた。
「そうだ。」
春那はふと思い立って下へと降りていった。
「あれ?居ないな?」
一階を探してみたが葵の姿は無かった。
「仕方ない、大人しく部屋で待ってよう。」
そう言いながら、紅茶のセットを用意してから再び二階へと上がって行った。
「よっこいしょ。」
葵が戻ってくるのを待つべく、椅子にゆっくりと座った。紅茶の茶葉を出して準備をしてから、お湯を入れて暫く待つ。出来た紅茶をティーカップに注ぐと部屋の中にダージリンの香りが広がる。
春那は香りを楽しみながら、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
「本当に綺麗な月。」
また、ゆっくりと月を見始めた。


恭子の方はその状況を無視する訳にもいかず110番をして警察が来るのを待っていた。
「あーあ、これでまた帰りが遅くなっちゃうよ。」
流石に見ていられなかったので、死体に背を向けた状態で苦笑いして愚痴っていた。
(聖一心配してるだろうなあ・・・。)
そう思った瞬間、背筋に悪寒が走った。
「!?」
(な、何!?)
声に出なかったが、体がビクッと自然に反応していた。振り向いて良いのか悪いのか一瞬判断に迷った。
「迷っているのなら、振り向かない方が良いですわよ。」
(迷っているのが分かってる!?)
突然後ろから声がして、驚いた恭子は声が出そうになったが口を押さえて声を殺した。
「警察の方には酔っ払いが絡んできた。とでも説明すると良いですわ。」
どう返事をして言いか分からず、首をたてに振ることも出来ない。
(どういう事?死体でしょ?そりゃあ最初は酔っ払いに見えたけど・・・。)
凄く冷静で落ち着いた声だが、こんな状況なのに言っている台詞が台詞だったので恭子は冷や汗をかき始めていた。その冷や汗の理由はもう一つあった。気配が感じられないのだ。空手をやっている恭子はそれなりに人が居るかどうか位は分かる。それなのに、声のする後ろのそこに誰も居ない。つまり人気を感じないのだ。
(真夏のミステリーなんて落ちじゃないわよね?)
自分で誤魔化すように少し冗談めかした感じで思っていた。
「貴方が見たのは酔っ払い。貴方は疲れていたの。良いわね?」
相変わらず冷静な声だったが、今回の言葉にはNOとは言わせない威圧感があった。
恭子はその言葉に静かにゆっくりと首を縦に振った。
「素直な人は好きですわ。10位数えてから振り向いて下さいね。私を見ると数字も数えられなくなるかもしれませんから。」
優しい感じの声に変わっていたが最後の台詞に、恭子は寒気を覚えていた。
(振り向きたいけれど、それをしたら駄目だって体の中の何処かが言ってる・・・。)
そして、相手の言う10秒よりも長かったが少しして、恐る恐る振り向くと、死体だったはずの男性がただの酔っ払いに変わって寝息を立てていた。
「ええっ!?一体どうなってるの?」
恭子は驚いて首を傾げながら叫んでいた。確かにさっきまで、酔っ払いではなく別人の死体があった。しかも、あったはずの血溜まりまで嘘の様に綺麗に無くなっていた。
(そりゃあ、少しは疲れているけど・・・。こんな事って・・・。)
思わず自分の頬を軽くつねっていた。当然痛かった。


葵は意を決して、曲がり角へ出てから男性が飛んできた方向を見た。
そこには、飛んで来た人間以外にも三人倒れていた。その三人も葵は一目で見て分かった。
(皆死んでいる・・・。)
しかも、酷い有様だった。ブロック塀には飛び散った血があったし、地面にもかなりの血の跡が点在していた。
そして、その三人以外に一人だけ立っている人影があった。
月が雲に覆われて最初は良く見えなかったが、その雲が過ぎて月明かりがその人物を綺麗に映し出す。
自分よりも年下かもしれない女性、ただ自分を見ている目、視線は凄まじい殺気が含まれている。
(凄い威圧感と殺気・・・。)
葵は思わず構えてしまった。体が勝手に反応してしまっていた。
月明かりは、全体像から細かい所まで映し出す。右腕から血が滴っていた。
(犯人は間違いなく彼女・・・。)
葵に対して半身だった相手の女性が葵の方へ完全に向き直る。
一瞬、霊かとも思えたが影もあり、足もしっかりある。そして何より人としての気配を感じる。
(ただ、ある意味化け物。)
葵の表情が厳しくなる。間合いはまだまだ離れているが、葵は相手にはそんなものは無いように思えた。いや、そう思えてしまう相手なのだろう。暑さもあったが首筋に嫌な汗が伝った。
そんな時、葵が来た方向から別の気配が近付いてくるのが分かった。
(挟み撃ち!?)
葵は目の前の相手から注意を完全に逸らす事は出来ないとわかってはいるのだが、後ろの方から迫ってくる気配も気になって仕様が無い。
(どうする・・・。)
「運が良いな。」
葵が迷っていると目の前の相手がボソッと言った。
「えっ!?」
その真意が分からず、驚いた瞬間相手の女性が一瞬で自分の真横を通過していた。
(は、早い!)
受ける準備は出来ていたので、自然と女性が通っていった方向に体が向いて一気に180度近く回る格好になっていた。
そして、次に葵が目にしたのは後ろから来たであろう人物のなき別れた首と胴体だった
一瞬の出来事で、現実味を感じなかった。現実に戻されたのは、落ちた首の音と、首から出る鮮血だった。体の方はビクビクと痙攣してから崩れ落ちるように地面に倒れた。
流石に驚いていた葵だったが、さっきまで目の前に居た女性は当たり前のようにその死体になってしまった向こう側に立っていた。
葵に背を向けていたが、ゆっくりと向き直る。
(今度は・・・私の番という事・・・。)
流石の葵も構えてはいたが今のを見て少し震えていた。
(姉さん、葵、聖一さん・・・。遥華さん貴方の傍に行ってしまうかもしれません・・・。)
葵はそう思いながらも、覚悟を決めていた。