私のクローン病暦とか

私の病歴をここに記します。
自分の記録として残すつもりです。
記憶があいまいな部分などがありますが多めに見て下さい。
役立つかどうかは分かりません(笑)
質問等あればメールや掲示板にでもお願いします。


1994年頃 痔になり、近所の病院へ行く。肛門の患部に塗る軟膏を出して貰う。
その時の医師の台詞「薬つけてほっとけば、勝手に治る。」

会社で働いている最中に痔は悪化の一途をたどる。
・切れ痔が酷くなり座っていられなくなる。
この時点で最初にかかったやぶと評判の病院へは行かず、現在の病院の外科にかかった。

・体重がみるみる減って行った。
一時は100キロオーバーだった体重が、この時点で80キロを切ろうとしていた。
やせてよかったね。と気楽に自分も回りも言っていた。

・寝汗が酷かった。汗びっしょりで起きたら必ず着替えていた。

・最後の方には便が、完全な血便で完全な液体で真っ赤だった。
この時点では分からなかったけれど、完全に大腸がやられて出血してたと思われる。

(余談)円座を必ず持ち歩いていた。
円座とはドーナツのようなクッションのこと。
真ん中が空いているので座っても肛門が浮くので痛くない。
難点はその高さの分少し浮いてしまうことや、無い時の不安感と無いと全く座れないこと。


1995年5月(21歳) 仕事の休憩時間にテナントに入っているコンビニでウーロン茶を買って控え室に戻る最中に倒れた。
この時は貧血だったのではないかと思われる。が最終的に原因は不明のまま。
近所の救急病院に搬送され、脳や心臓の精密検査などを受けるが異常なし。
数日間で、家から遠い事と部屋代がアホみたいに高いので地元に転院することになる。
最後の方で、何かお腹が痛いなあ?という感じがした。

数日後
1995年5月(21歳) 現在の病院へ転院して内科での診察を受けて一発でクローン病と診断される。
外科の先生は見つけられなかったんだよね(苦笑)
最初に先生から言われて頭が真っ白になった一言「もう、一生何も食べ物食べれませんよ。」
この時に一番痛い腹痛に襲われる。
肩から打つ痛み止めの筋肉注射をやった時に全く痛くなくて、肩に入ってくる感じがしただけで、お腹が痛くて堪らない状態だった。

3ケ月間の入院。
絶水分、絶食、24時間点滴
絶食、24時間点滴
鼻チューブ(エレンタールを十二指腸まで直接チューブで送り、腸だけで栄養吸収)
エンシュアリキッド
エンシュアリキッド+低残渣食(残りかす少なく大腸に負担をかけない食事)
ここまで来て退院。
退院する前に、希望を貰い、嬉しくて泣きそうになった先生からの言葉。「食べれるものを探して行きましょう。食べて駄目だったら止めて、少しでも食べれるものを見つけましょうね。」
外科手術に関しても「1回切っちゃうと、切りきるまで手術しなければならないから、このまま頑張りましょう。」
こう言って下さったお陰で今の私が居ると思います。
この時の先生に巡りあっていなかったら私はこの時点で居なかったかもしれません。

体力的に落ちたものあり、24時間勤務などもあって、無理だと思って会社を退職。
昼間勤務の会社を目指す。
約半年を経て、奇跡的に中途採用される。

最初は外回りをやっていたが、一年半位した雪の日に会社への出勤途中で倒れる。
内勤へ異動となる。

エンシュアリキッドが甘過ぎて、ラコールへ変更。
しかし、ラコールも甘過ぎて、飲めるようになったエレンタールへシフト。

初代の先生が後を継いで開業医になる為、二代目の先生にバトンタッチ。
二代目の先生は外科の先生。不安だったけど、良く話を聞いてくれる先生で安心した。

レミケードを試験的に打つ
副作用は特に無し。
一週間部屋から出られなかった。この当時は単発でのお試しだった。
半年くらいは調子が良かったものの、しばらくして再燃して入院。

入退院を繰り返しながらも踏ん張っていた。
途中で軽度のうつ病になったが、親の理解もあってくれたお陰で、薬療法で治った。

しかし、一つの転機が・・・。
会社で人間関係の問題発生。怒り爆発で凄まじいストレス。
当時を知る友人が語ってくれた。「あの時は酷かった。来たかと思うとすさまじい勢いで文句だけ言って帰って行った。なんだあれ?って思った。」
私自身も正直酷かったと思っている。
そのストレスのせいか、会社のエレベーターホールで倒れる。
会社近くの病院に救急車で運ばれる。異常はなかったものの、そのストレスたるや酷くイライラしていた。
ストレスのせいもあってから、クローン病も悪化。鈍く継続的な腹痛に見舞われる。

そんな時に、2代目の先生から「クローン病では死にませんが、今のままだと、倒れた時に頭から倒れたりしたら死にますよ?」
この一言で会社を辞める決意をした。
一番迷惑をかけている父親に「ごめん、俺もう無理。それと先生に言われた。」そう説明して「分かった」って言ってくれた。
会社の方はまさか辞めるとは思わなかったみたいで、引き止められたけど・・・

2006年2月14日 約10年勤めた会社を正式に退職。
病気への理解もあったし、周りの人も理解してくれる人が殆どで何もなければまだ勤めていたかもしれないけど仕方なし。
ちょうどバレンタインの日だった(笑)

ここの間で2代目の先生が、ご両親の介護をするために医師を辞めるという事で3代目の先生にバトンタッチ。
3代目の先生も話を良く聞いてくれる先生なので安心した。

2007年夏 不安定な体調が続いていたけれど、入院はしていなかったのだが、
ついにクローン病悪化の腹痛で入院
大腸カメラ検査で大腸が更に狭くなっていると指摘された。

2009年5月 腹痛の体調悪化で入院。大腸カメラで、かなり危険なくらい腸が狭くなっているのと、沢山のブロックが出来ているのを見せられた。
4月に3代目の先生が大学病院へ戻るという事だったけれど、完全な引継ぎがないまま、この時に見てくれた先生が4代目になった。
ブログとかにも書いてあるが、今までにない相性が悪い医師だった。

2009年7月7日
 レミケード一回目投与
副作用は無し。この投与を境に、4代目の医師を担当から外して貰った。2009年7月現在複数の医師に見て貰っている。