アイドルドリーム 春香2 外伝〜奥野えりこ〜




奥野グループ。
日本の新規重機メーカーながらも、一代で世界シェアNo.2にまで登りつめて、No.1の座も脅かす存在になっている。
母体である奥野重工株式会社社長が隠居する形で交代してからは、重機関係だけでなく色々な方面にも進出。
豊富な資金力と、人脈を活用して数多くの分野でも成功を収め、大きなグループ会社へと成長した。

そんな奥野グループが新しく決めたのが芸能界進出だった。

そんな頃、私、奥野えりこは中等部を卒業して高等部へのエスカレーター進学を決めていた。有名お嬢様女子学校、毎日が退屈で仕方なかった。
また、満たされない三年間が始まるのかと思うと気が重かった。

俺は高卒ながらも大手企業である奥野グループの関連会社に入り、自分なりに一生懸命やっていたが周りには全くと言って良いほど評価されていなかった。
むしろ、その一生懸命さが気に食わなかったのかもしれない。
1年目で企画部へ異動になり、評価されていたのかと思って居たがそれは逆だった。
後から入ってくる大卒の人間達に自分の知識の無さを思い知らされると共に、主要なプロジェクトに絡む事も少なくなり、毎日雑用係をやっているようなものだった。

「はい、異動通知。」
「へ?」
3月も終わろうかという時に、俺はいきなり上司から軽く言われて一枚の封筒を受け取っていた。
「ここで腐ってるよりはましだとは思うけど、新しいプロジェクトだからね。ちょい耳貸しなさい。」
「は、はい?」
俺は怪訝そうな顔をしながら上司に顔を近付ける。
「あんたは捨て駒って事みたいだけど、上手く行けば出世になるわよ。」
「あの、何でそれを俺に?」
「あたしも高卒だから、かなあ。」
そう言って、上司は少し笑いながら答えた。
ピッ
そして、いきなり目の前に名刺を一枚出したかと思うと、手品のように広がって何枚にもなる。良く分からない俺は思わずキョトンとその様子を見ていた。
「ぷっ、なんて顔してるんだか。あたしからの餞別だよ。話は通してあるから、上手く使いな。」
「えーと・・・。」
さっぱり意味の分からない俺はその場で固まっていた。
「全くしょうがないねえ。まずはその封筒開けてみ。」
「はい。」
俺は言われるままに封筒を開けて中身を見てみた。
『奥野プロダクション・プロジェクトリーダーに任命する。』
「へ?リーダー!?」
思わず文字を見て見間違いかと思って、目を擦ってもう一度見直すが、当然その内容は変わらない。
「後数日しかない。プロジェクト自体が頓挫とか失敗したり、上手く行っても立ち上げがもたついたらあんたの責任にしようって魂胆だろうね。それで、上手く行ったらあんたを外して他のを後釜に据える。そんな筋書きだと思うよ。」
「はあ、なるほど。」
俺は思わず上司の話を聞いて納得して頷いていた。
「はあ、じゃないっての・・・。全く。今から異動の準備ってかこつけてこの名刺にある人間全員に挨拶して来な。」
「良いんですか?」
「部長のあたしが良いって言ってるんだ。ここで誰も文句言える奴は居ないよ。誰か文句あるかい?」
そう、この部長は社内で恐れられている鬼部長で有名らしい。一時は切れ過ぎて出世コースから外されたらしいが、なぜか舞い戻って来て再びそのコースを歩んでいるらしい。
実際にこの会社でも高卒での出世は珍しく、半年前に異動して来た部長の歓迎会で俺も高卒だといったら変に気に入られたみたいで、事ある毎にちょっとした手助けなんかをしてくれていた。
「え、と。それじゃあ、頂いて行ってきます。」
「最終日までに絶対回り切るんだよ。良いね?」
「はいっ!」
俺は名刺を受け取って、会社を後にした。

「奥野プロダクション?」
「はい、お嬢様。まだ公にはなっておりませんが、4月1日より新たなグループのプロジェクトとして立ち上げるそうでございます。」
私は執事から聞いて、少し興味を覚えた。
「どういう事をするのかしら?」
「芸能プロダクションとの事ですので、幅広く行うのかもしれませんね。アイドルから、お笑い芸人、俳優、声優などの部門がある事までは聞いております。」
執事は静かに答えながら、空になったティーカップに紅茶を注ぐ。
「プロダクションへ入籍する方々はもう決まっていらっしゃるのかしら?」
(こういうのはお約束なのだろうし・・・。)
そう思いながらも聞いてみた。
「決まっている方も居りますが、一般からも応募をすると聞いております。」
「私が応募するというのはありなのかしら?」
「それは私にはお答えしかねます。」
少し困った顔をして答える執事を見て、私は紅茶を一口飲む。
「では、なぜその話題を私に聞かせたのかしら?」
私は目を細めながら執事に聞いた。
「グループ関連のパーティーなどにお出かけになる際の予備知識としてあった方が良いかと思いまして。」
執事はサラッと答える。
「うふふ、そういう事にしておきますわ。貴重な情報をありがとう。今日の紅茶も美味しくてよ。」
「お褒めに預かり光栄です。」
私は上機嫌で言うと、執事は少し大袈裟なジェスチャーをしながら答えていた。

4月1日から始まった『奥野プロダクション・プロジェクト』は、他のプロダクションからの移籍組を中心としてまずまずのスタートを切っていた。
流石に名が通っていないので、入籍オーディションなどに来る人間は少なかったものの、部長から貰った名刺の人物達の影響は大きく、確実に業績を伸ばし始めていた。
俺はプロジェクトリーダーとして今までに無い忙しさだったが、その分だけ自分が成長していっている実感があって満足していた。
だが、それも半年の間だけだった。
『奥野プロダクション・アイドル部門プロデューサーを任命する。』
手元に来た異動通知は事実上の降格だった。
「部長の言った通りになったなあ・・・。はぁ・・・。」
まだ残暑の残る8月の終わりに、俺は溜息をついていた。

社内報が流れ、企画部の部長はそれを見てニヤニヤしていた。
「ふ〜ん。後釜にぼんぼん入れた訳か。あいつに半年やらせたのは上の連中としては間違いだったねえ。で、あいつはどこに行った・・・。アイドル部門のプロデューサーか。担当に付かれた奴はラッキーだね。きっと売れる。半年後には、うちの部にも企画あがってくるかもなあ。」
そう言いながら、彼女はメールを一通したためていた。

「ん?メール?あれ?部長からだ・・・。」
不思議に思いながらも、俺はメールを開いた。
『業務連絡
おめでとう。担当のアイドルが決まったら教えなさい。』
「おめでとうって・・・。まあ、部長らしいと言うか何と言うか・・・。」
俺は何とも言えない顔でお礼と、内容の件分かりましたと返しておいた。

期待をしていただけに、私は非常に不満だった。
半年間、いつものつまらない学校へ通い、せっかくの夏休みのレッスンなども正直お遊び的なもので、一切表舞台には出して貰えなかった。
何度不平不満を言っても、あやふやな態度や受け流す行動をされるだけで効果が無かった。
きっと私が諦めるのを待っているんだと確信した。
だから、逆に意地でも辞めなかった。
でも、正直テンションやモチベーションと言うものがかなり低くなっているのは否定出来なかった。
始業式が終わり、また変わるというプロデューサーが待っている事務所へと向かっていた。
「また、変わるの、ね。毎月変わって・・・。また今度も同じ・・・。」
車の中で呟きながら、私は外の景色を眺めていた。

「はいっ!?奥野えりこってあの社長令嬢の本物ですかっ!?」
俺は9月1日にアイドル部門の事務所に来て、突然言われて驚いていた。
「そうです。適当に相手して貰って構いませんので。無理であれば早々に代理を立てます。」
「は、はあ?」
言っている意味が分からずに、俺は生返事をしていた。
(もしかして、偉いワガママとかで扱い難いのかな。だけど、居るって事自体リーダーの時に耳に入って来なかったんだよなあ・・・。)
「無難に波風立てずにお願いします。」
「分かりました。」
ちょっと想像しながら、相手の言葉に返事をした。
「では、私はこれで。」
「お疲れ様でした。」
時計を見ると、相手は早々に事務所から去って言った。
(なんか、逃げて行くみたいな感じだったな・・・。)
何となく俺は見送りながら思っていた。

入れ違いで綺麗な女性と言うにはまだちょっと若いかな。でも、少女と言う幼さは無いように思える。確実に美人と言う部類に入るであろう人物が事務所に入って来た。
「ごきげんよう。」
「こんにちは。」
(随分変わった挨拶するなあ・・・。)
俺はそう思いながらも、軽く挨拶を返していた。
「お見かけしない顔ですが、お客様ですか?」
私は不思議に思って聞いてみた。
「いえ、今日付けでプロデューサーとしてここに来ました。」
「あら。そうでしたの。私も今日から新しいプロデューサーがいらっしゃるという事で参りましたの。」
「そりゃあ、奇遇ですね。」
「確かに、そうですわね。あら、失礼致しました。自己紹介していませんでしたわね。私、奥野えりこと申します。」
「えっ!?」
(マジですか?本人ですか!?)
本物を見た事が無い俺は、へんな自問自答していた。
「何か変な点でも?」
「あ、いや。俺が多分その新しいプロデューサーかなあと。」
「ふふっ。二人のプロデューサーが付くとは聞いておりませんから、貴方かと。」
変に自信無さそうに言うプロデューサーにおかしくなって、私は少し笑いながら言った。
「あ〜、え〜と。もし良かったら他の場所でミーティングしたいんだけど良いかな?」
(色々聞きたい事があるんだけど、ここじゃ不味いだろうしなあ・・・。)
俺はどこで話そうか考えながら聞いてみた。
「構いませんわ。貴方がプロデューサーなのですからお決め頂いて構いませんわよ。」
「いや、その、門限だとか、周りの人達の関係なんか大丈夫かなと。」
「心配ご無用。ここに居る時は『ア・イ・ド・ル』の奥野えりこですから。」
私はちょっとムッとして強めに言った。
(あれ〜?なんか想像していたのと全然違うな・・・。まあ逆に良かったけど。よし、部長に頼もう。)
俺はそう思って企画部長へメールを出すと、会議室を一つ取るから本社へ来いと言われてあっさりと奥野えりこを連れて向かった。

・・・第二会議室・・・
「随分と騒ぎになっているようでしたが、大丈夫なのですか?」
私は心配になって、向かいに座っている部長さんに聞いた。
「ああ、大丈夫。大丈夫。気にしなくて良いから。いやあ、しっかし、こんな隠し玉持ってたんだねアイドル部門は。」
「正直、俺もびっくりしました。」
感心して言う部長に、俺も合わせて言っていた。
「そうはおっしゃっても、ただのお飾りですわ・・・。」
私は複雑な心境だったが、言わずにはいられなかった。
「お飾り?」
俺と部長は不思議そうに彼女に聞いた。
「ええ。4月1日に奥野プロダクションへ籍を置いたものの、まともなレッスンを受けることも無く、表舞台へ出る事もなく今まで過ごしてきました。私自身に才能が無く、諦めるのなら納得行きますけれど、何も出来ない状態では到底納得出来ませんわ。」
私は今までの事をかいつまんで話して、思いを正直に言った。
「なるほどね。本気なのに、肩透かしばっかりって事か。逆に聞くけどさ、本当に駄目だったら諦めつける?」
「勿論ですわ。」
私は部長さんにはっきりと答えた。
「まあ、あくまでも噂なんだけどね。あんたに見合い結婚させて、グループを広げようって考えがあるらしいんだよ。だから、今は大人しくして貰ってその型にはまって欲しいんじゃないかねえ。」
「それは薄々存じていますわ。ただ、何もせずにこのままというのだけは嫌なのです。このわがままは許されないものなのでしょうか?」
「いや、良いんじゃない?許されると思うよ。いやあ、逆にこいつだから許されるってのもあるかもね。」
「はいっ!?」
(何で俺?)
やり取りを大人しく聞いていた俺にいきなり話が振られて、驚いた俺は思わず部長の顔を見ていた。
「だからさ、今はあんたがプロデューサーだろ?ちゃんとプロデュースしてやればいいじゃんか。だ〜れも文句なんて言える訳ないだろ?」
ニヤニヤしながら部長が俺に言ってくる。
「いや、まあそうですけど・・・。」
「それともなにかい?今までの話を聞いといて、あんたもこの子をお飾りにしておくってのかい?」
私は部長さんの言葉を聞いて、思わずプロデューサーを見る。
「いや、そんなつもりは無いですけど、ただ・・・。」
「ただ、なんだい?」
「アイドルのプロデュースってどうやって良いか分からないし・・・。」
俺は正直なところを言った。
「そう言うって事は、売れっ子にしたいって事だよね?」
「えっ!?」
急に真剣な顔になってプロデューサーに聞く部長さんの言葉に私は驚いて声が出てしまった。
「そりゃあ、どうせやるなら。これだけ器量も良いし、売れればきっと変な枠にも収まらずに済むだろうし・・・。」
「じゃあ、決まりだね。うちの部でもバックアップするよ。奥野えりこで企画組むから、その代わりちゃんと育ててヘマするなよ。それと、やり方なんて簡単だよ。あんたがここ半年で色々やって来た事を、一つというか1人に集中出来る訳だからね。じゃあ、これはお祝いの意味を込めて・・・。」
ピッ
あの時と同じ、名刺で手品みたいに一枚だったものが、綺麗に何枚かになって広がる。
私は思わずその見事さに軽く拍手していた。

「あの、プロデューサーとお呼びすれば良いのかしら?」
「それで良いんじゃないかな?」
私は隣の運転席にいる彼に言うと、普通に答えが返ってくる。
「では、プロデューサー。私の事はえりことお呼び下さい。」
「了解。助手席は初めて?」
「ええ。良く分かりましたわね。」
「シートベルトの締めるのに四苦八苦してるの見れば分かるよ。」
「そ、そうですわね。」
流石にちょっと恥ずかしくなって、私は俯いて小声で言っていた。正直、助手席に座るのは生まれて初めてで、もう一つ言うならここまで普通に扱ってくれる人も初めてだった。

そして、私はそれから表舞台に立つ事になった。
『絶対に親の七光りだと言われないようになってみせる!』
その思いを胸に秘めて、日々レッスンに励んだ。プロデューサー以外は遠慮気味な所が多少あったが、プロデューサーだけは私と真面目に向き合ってくれていた。それが私には新鮮だったし、とても嬉しかった。

時間はあっという間に流れて秋の終わり頃、新人の登竜門ルーキーズで私は運命の出会いを果たす。
【天海 春香】
プロダクションとしてはうちと同じくまだ無名に近い765プロダクション所属のアイドル。二つのリボンに可愛い外見。バランスが取れていて、強敵なのは一目見て分かった。
「お待たせ致しました。それでは、本日の結果発表です。最後まで審査が難航しましたが、結果が出ました。今回のルーキーズの合格者は・・・。5番の天海春香さんです!2番の奥野えりこさんとは同点でしたが、最終的な審査の結果、天海さんに決めさせて頂きました。」
ギリギリの所で、私は落選してしまった。
「プロデューサー・・・。」
「大丈夫だ。次で巻き返す。逆にえりこにとっては良い相手じゃないかな。」
「良い相手?」
「そう。良い意味でのライバルだな。彼女と競い合う事でえりこはもっと伸びると思う。プライベートで付き合いもし易そうだし。」
「プロダクションとして、余りそういうのは良くないのではありませんこと?」
「向こうが駄目と言わなければ、こっちは良いと思う。アイドルとしては競う事になるだろうけど、1人の女の子同士として友達になれるんじゃないかと思ってな。」
「友達・・・。」
(プロデューサー。そういう事まで考えて下さっているのね。)
ここまで来て、プライベートでの友人と呼べる人は私には一人も居ない。学校でもよそよそしかったり、グループになるのが嫌いな私はいつでも一人だった。そして、奥野グループのお嬢様という肩書きが、芸能界に入ってからも付きまとい、まともな付き合いは無かった。

「次のボーカルマスターで天海春香に負けたら、えりこお嬢様には引退して頂きます。良いですね?」
「結構。逆に勝ったらそのまま続行。」
「そんでもって、うちの企画部の奥野えりこアイドル計画も続行。」
向こう側から言ってくる言葉に、俺と隣に居る部長ははっきりと言う。
「良いでしょう。どこまでお遊びが続くか楽しみです。では失礼。」
そう言って、相手は立ち上がると会議室から出ていった。
「嫌味だねえ。ったく。しっかし、お前も言うようになったねえ。」
「頭撫でないで下さい・・・。」
最初は機嫌悪そうに言っていた部長だったが、俺の方を向くと頭をなでなでしながらしみじみと言う。
「で、勝算はあるんだろうね?」
「勿論です。」
急に真剣な顔で聞いてくる部長に、俺はきっぱりと答えた。
「天海春香ってのも逸材だけど、あっちのプロデューサーもなかなかみたいだよね。情報集めたんだけどさ。まあ、えりこちゃんもあんたも引け取らないから大丈夫だと思ってるけどね。」
「えりこが逸材なのは間違いないと思います。部長の見立て通り天海春香も向こうのプロデューサーも逸材だと思います。ただ、俺がどうなのかはあんま分かりません。ただ、先を見据えて年末のレコード大賞の新人賞は絶対にえりこに取って貰うつもりです。」
俺は正直な今の胸の内を語った。
「そうしたら、タイアップで色々な企画を合わせてやるよ。あんたの天海春香をライバルにする作戦は見事に当たったね。」
「多少意識していたのが、偶然も重なってそうなったんですけどね。まあ、それでもこうなったからには、えりこにも大きくなって貰いますよ。本人もやる気満々ですからね。」
「レコ大新人賞を天海春香と争って取れたら本物だね。えりこちゃんも、あんたも。」
嬉しそうに言う部長の顔を俺は何となく見ていた。

ボーカルマスターは少し差がついて私が合格した。
「天海さん。次は頑張って下さいな。」
「う〜、今回は完敗とまでは行かないけど負けた〜。だけど、次は負けないよっ!」
私の言葉に天海さんは素直に負けを認めていた。悔しそうではあったけれど、最後にそういって、私に手を差し出す。私はにっこり笑いながらその手を取って握手した。
「プロデューサーさん。次は頑張りましょう。」
「そうだな。じゃあ、帰ろうか春香。」
「はいっ。」
その後、天海さんの様子を見ていると向こうのプロデューサーと話をしていた。向こうもどうやらプロデューサーとの関係は良好みたい。
「おめでとう、えりこ。」
「ありがとうございます。プロデューサーのお陰ですわ。」
私は素直に頭を下げてお礼を言った。
「そんな事ないさ。えりこの実力だよ。天海春香とは大分良い仲になってる感じに見えたけど?」
「そうですわね。彼女は素直だし、とても好感が持てますわ。」
頭を上げてから、天海さんが去っていた扉を見ながら答えていた。

ダンスマスターは、前回とは逆に少し差がついて天海さんが合格した。
「やりましたよ、プロデューサーさんっ!」
「やったな春香!」
喜び合う二人を私は少し離れた場所から見ていた。
「済まないな、えりこ。俺の指導不足だった。」
「何も謝らないで下さい。私の実力不足もありますから。次は負けませんわよね?」
「ああ。連敗はしない。いや、させない。」
私は真剣な眼差しのプロデューサーにちょっとドキッとしたけれど、冷静を勤めて黙って頷いた。そして、喜び合っている二人へ近付いて言った。
「ん?奥野えりこ?何しに来た?」
天海さんのプロデューサーが訝しげに私を見ながら聞いてくる。
「お祝いですわ。おめでとう、天海さん。でも、次はこうは行きませんわよ。」
私は微笑みながら言って、手を差し出した。
「う、うん。あ、ありが・・・とう。」
天海さんはキョトンとした顔で私の手を取った。私はそのまま握手をして、軽く肩をポンと叩いてからプロデューサーの方へ戻って行った。
「何か向こうさん二人してポカンとしてるぞ。」
俺は笑いを堪えながら、戻って来たえりこに言った。
「きっと、お祝いされ慣れていないだけですわ。」
「そうだな。じゃあ行くか。」
「ええ。参りましょう。」
俺は済まして言うえりこにもおかしくなって笑いそうになったが、堪えて会場を後にした。

あちこちのオーディションでぶつかっていた私と天海さんだったけれど、終わって結果が出てしまえば、変なわだかまりは無かった。いつしか彼女が居ないオーディションに物足りなさを感じていた。実際に国内の新人で天海さん以外に敵は居なかった。

色々なクリスマスソングが流れる中、私は銀座に買い物に来ていた。目的は両親へのクリスマスプレゼントとプロデューサーへのクリスマスプレゼントを買う事だった。
いつもの道を歩いていると、何処かで見た顔がキョロキョロしている。
(天海さん?道にでも迷っているのかしら?)
「どうかなさったの?天海さん。」
「へっ!?」
私が声を掛けると、びっくりして天海さんは何故か私の顔をまじまじと見てくる。
「ごきげんよう。」
「あっ、え、えと。こんにちは。」
ちょっと不思議に思いながらも、普通に挨拶すると偉く慌てて挨拶を返して来た。
「こんな所でどうなさったの?」
「あ〜、その〜ですね。実は・・・。」
話を聞くと、どうやらレストランに行く道が分からないとの事だった。ただ、そのレストランは結構有名なお店で、この時期なんかは特に予約が取れない場所だった。
「随分と奮発しましたのね。それに、この時期で良く予約が取れましたわねえ。」
私はその事を感心して素直に言っていた。
「えっ!?」
(この驚きようは、天海さんご本人ではなく、相手の方が予約したという事ね。)
「くすくす。なんて顔なさっているのだか。私、ここのお店は存じていますから案内しますわ。」
私は驚いた顔をしている天海さんにおかしくなってしまったけれど、内心では納得していた。良く行くお店なので、案内を買って出てみた。
「い、良いんですか?」
「構いませんわ。私はそのお店の近くに買い物に行く予定でしたから。では、参りましょうか。」
「あっ、はい。宜しくお願いします。」
変に丁寧になってしまっているのは、きっと慌てている証拠なのでしょう。ちょっとおかしかったけれど、我慢してそのままお店を目指して歩き始めた。

「ここですわ。」
「うわ〜、高そう・・・。」
天海さん、きっとここを見るのも来るのも初めてなのね。
(さて、どなたが誘ったのかしら・・・。)
私は好奇心もあって、視線を天海さんから店内の入口を見てみると、見慣れた顔があった。
(あの方は天海さんのプロデューサー。なるほど、あの方なら予約も出来ますわね。でも、あんなにそわそわしてしまって。)
「くすくす。どうやら、天海さんの事を待ちわびて、ご心配なさっているみたいですから、早く行って差し上げた方が良いかも。」
私は堪えられずに、ちょっと笑いながら天海さんの方へ言った。
「待ち・・・わびて?ってうわぁっ!?」
何でそこまで驚くのかがちょっと不思議だったけれど、天海さんの様子を見ていた。
「えと、あのっ、その、こ、これはですね・・・。」
(ああ、なるほど・・・。)
「プロデューサーと食事をするのに、違和感はありませんわよ。ただ、変な噂が立たないようにだけは気を付けた方が宜しいですわ。」
何となく察した私は、一応釘を刺すように言った。
「そっ、そうですよね?プロデューサーさんと食事してもおかしく無いですよね?」
「知らない男性と食事をするよりは違和感は無いと思いますわよ。ただ、好きな方とのデートとなると話は変わるかもしれませんけれどね。」
「すっ!?でっ!?そそそ、そんなんじゃ無いですよ?」
(天海さんはプロデューサーが好きなのですね。)
とっても分かり易い反応をしてくれた天海さんの態度で確信した。
「うふふっ、仕方ないですわね。」
なんだか微笑ましくなってしまって、天海さんの手を取ると店内へ入って行った。
「いらっしゃいませ。これは奥野様。申し訳ございませんが、本日はご予約で一杯でして・・・。」
「ええ、分かっていますわ。こちらの方をお連れしただけだから変に気を遣わなくても結構ですわ。」
いつもの受付の方から言われて私は答えた。
「春香っ!って、奥野さん???」
「ごきげんよう。ここの近所へ買い物に来たのですけれど、迷っている方が居まして。それが天海さんだったので、ここにお連れしましたの。」
こちらに気が付いた天海さんのプロデューサーに挨拶と説明をした。
「あ、そりゃあ、どうも、ご丁寧に。」
「では、私はこれで失礼致しますわ。レコード大賞、紅白、かくし芸あたりの収録でまたお会いしましょうね。」
これ以上お二人の邪魔をしても悪いからと思い、一礼して言ってから店を後にした。

その後、お店でプレゼントを買いながら、ふと思った。
(プロデューサーは私の事をどう思っているのでしょう?そして、私は?)
考えても答えが出ずに、諦めて普通にプレゼントを事務所で渡そうとしたけれどプロデューサーは居なかった。
聞いてみると、年末年始の私の仕事の為にあちこちを駆け回っているとの事だった。
私はそっと、プロデューサーの机の上にプレゼントを置いて事務所を後にした。

そこからあっという間に時間が経って、
俺はえりこにお礼を言えずに大晦日を迎え、レコード大賞の発表会場に2人で来ていた。
俺は間違いなく新人賞はえりこだと思って居たが、あえて口には出さなかった。
「ノミネートされましたから行ってきますわね。大賞は天海さんかしら・・・。」
「行って来い。まあ、発表を待ってからのお楽しみだ。」
少し心配そうに言いながら壇上へ行くえりこを見送りながら声を掛けた。
私はドキドキしていた。隣にはいつもの通りにこにこしている天海さんが居る。
「やっぱりノミネートされたね。奥野さん。」
「そうですわね。私と貴方はここに居るべくして居るとは思いますけれどね。」
「私、奥野さんはここに居るのは当たり前かなって思うけど、私自身ここに居れるなんて夢みたい。だから、奥野さんが私もって言ってくれると嬉しいな〜。」
そう言ってにっこりと笑う天海さん。この微笑みには癒される。思わず私も笑顔になる。
「お待たせ致しました。それでは新人賞の発表です・・・。」
ドラムロールが鳴って、私も天海さんも緊張で顔が引き締まる。
「新人賞はっ!・・・奥野えりこさんです。」
「おめでとうっ!」
「えっ、あ、私?ふふっ、ありがとうございます。」
私は自分の名前を呼ばれたのにもかかわらず、一瞬分からずに呆気に取られてしまった。天海さんのお祝いの言葉で我に返って、実感が込み上げて来て自然と涙が溢れて零れ落ちていた。
(良かったな。えりこ。)
俺は初めて信じられないと言った顔をして、泣いているえりこを見て心の中で静かにお祝いしていた。隣でえりこの手を取ってお祝いしている天海春香の姿も印象的だった。

「私とした事が、感極まってしまいましたわ。」
ちょっと恥ずかしかった私は、紅白が終わった後の移動中の車内で呟くように言っていた。
「びっくりしたけど、本当に嬉しかったって事だよ。まあ、俺はえりこが呼ばれるって確信してたけどな。」
「そうなのですか?」
私は流石にちょっと驚いて聞いた。
「ああ。今回のレコ大に関しては、だけどな。周りは天海春香か奥野えりこかって言ってたけど、俺はえりこだって思ってた。天海春香もそれは納得してたんじゃないかな。壇上は良いシーンだった。ライバルから祝福されて思わず感極まって泣くえりこ。でも、きちんと歌うのは流石えりこ。ってとこかな。」
「もう、茶化さないで下さいな。あんなに泣いてしまって恥ずかしいんですから。」
私はプロデューサーの言葉に、照れ隠しもあったけれど少し強めに言っていた。
「別に茶化すつもりは無いって。本当の事だし。あ、それと、クリスマスプレゼントありがとう。忙しくてずっと言えなかった。」
「いえ、ここまでして下さった、せめてものお礼です。今年は本当に良い年になりました。」
私は静かに目を閉じながら静かに言っていた。
「そう言ってくれれば何よりだ。」
「お願いがあるのですが、良いですか?」
「ん?俺に?」
「はい。」
私はにっこり微笑んだ。

俺は年末年始の奥野グループのパーティーを全て欠席やキャンセルするえりこの予定を急遽組んだ。それが、えりこのお願いだったから。もちろん部長にも一役買って貰ったのは言うまでも無い。喜び勇んで引き受けてくれたのにはちょっと笑ったけど。
年越しそばは残念ながら食べれなかったけれど、予定通り順調にスケジュールは進んでいた。
年が明けて、お正月特番の生放送中。
「お雑煮♪お雑煮・・・っ!?」
天海さんが美味しそうにお雑煮を食べていたのだけれど、いきなりお餅で喉を詰まらせてしまい目を白黒させる。
「天海さんっ!?」
私は驚いたけれど、冷静にプロデューサーへ手で合図を送る。
俺はえりこから来た合図に頷いて、ADの方へカメラを外すようにお願いする。
カメラの赤いランプが消えたのを見計らって、私は天海さんを横にして申し訳なかったけれど、指を突っ込んでお餅を吐かせた。
「ゲホッ、ゲホッ、はあっ、はあっ・・・。」
「天海さん大丈夫?」
「あ、ありがとう。奥野さん。死ぬかと思ったぁ。」
「とりあえずカメラが戻ってくる前に、水でも飲んで落ち着いて。」
「うん。」
私がグラスを渡すと一気に飲もうとする。
「天海さん。少しずつですわ。ゆっくり、ゆっくり・・・。」
天海さんは私の言葉に小さく頷いて、ゆっくりと水を飲んで落ち着いた様子だった。
「ふう、本当に助かったよ。ありがとう。」
「いえいえ、困った時はお互い様ですわ。」
俺は冷や冷やして見ていたが、見事にえりこが対処してくれたのでホッとしていた。

かくし芸の方は無難に終わったが、天海春香の方はかなり難航しているようだった。まあ、あっちのプロデューサーも大変だ。
お陰で休みは全く無かったが、楽しい一時を過ごせているえりこを見て俺は満足していた。

年が明けてからは、私は直接会わない時もメールで天海さんと色々やり取りしていた。
バレンタインは、手作りのチョコレートケーキを作ると天海さんは張り切っていた。
私も簡素ではあったけれど、プロデューサーに手作りチョコレートをプレゼントした。
少しドキドキしていたけれど、顔には全く出さなかった。喜んで受け取ってくれて、その場で食べてくれたのは嬉しかった。

春になって、天海さんの誕生日のお祝いをかねたお花見があると聞いて、私は前々から用意していた、生地をプレゼントする為に出席した。
生地は仕立て屋に頼めば、下着でも上着でも何にでもしてくれる。
天海さんならきっと素適な使い方をしてくれると思ってプレゼントさせて貰った。

夏前になって、天海さんが【太陽のジェラシー】を歌い始めてから、殆ど無かった差が一気に開いてしまった。
実際にオーディションでも全く勝てなくなったし、勝てる気がしなかった。
周りからは『ここまでか?』とか『万年NO.2』とか言われて私はかなり落ち込んだ。
でも、プロデューサーの言葉が私を救ってくれた。
「NO.2で何がいけないんだ?国内で、1億人の上から2番目だぞ?確かに天海春香の勢いには敵わないかもしれないが、えりこだって立派なアイドルだ。もう変に比べる事なんて無い。えりこはえりこの道を行けば良い。そんなしょげてる姿なんて天海春香は見たく無いと思うぞ。」
「そうですわね。本当に・・・。ありがとうございます。」
吹っ切れた私は、少し前の落ち込んでいるのが嘘のように、また歌い始めていた。

まだ残暑が厳しい中、天海さんがラストライブを行うと聞いて私は驚いていた。
「プロデューサー。天海さんはアイドルを辞めてしまうの?」
本当は本人に聞きたかったのだけれど、怖くて聞けなかった・・・。だからプロデューサーに聞いてみた。
「いや、どうやら海外進出を睨んでの節目って話だ。元々歌うのが好きな本人だ、まだまだ辞めたりしないだろう。それに、辞めるつもりならえりこにだってちゃんと言う筈さ。」
「そんな大事な事・・・私に言って下さるのかしら・・・。」
私は正直自信が無かったし、親しくなったとはいえ天海さんにはプロデューサーが居る・・・。
「言ってくれるさ。えりこしか知らない天海春香の顔がある。そして、えりこにしか見せない顔もな。」
「私にしか見せない顔・・・。」
「まあ、その内ラストライブの事とか、そのチケットの事でメールでも来るんじゃないのか。えりこは気が効き過ぎるからな。少し、肩の力抜いた方が良いぞ。」
難しい顔をしているえりこの両肩を軽く叩きながら言った。
「うふふ、そうですわね。無駄に力んでも仕方ありませんわね。」
(プロデューサーのおっしゃる通りですわ。)
私は納得して、プロデューサーを見上げながら微笑んだ。
その後、プロデューサーの言った通り、天海さんから堂々と会って渡したいけれど、駄目と言われてチケットを送るとメールが来た。

「ん?」
俺は携帯が鳴っている事に気が付いておもむろに出た。
「はい?」
『お、出たね。今暇あるかい?』
相手は部長だった。
「作れば何とか少し位なら。」
『緊急事態だ。作ってメールの場所まで来な。以上。』
一方的に言われて切られてしまった。
「どうかしましたの?」
「うん、部長が緊急で打ち合わせしたいってさ。ちょっと行ってくる。」
俺はえりこを心配させない為に、軽く言った。
「いってらっしゃい。」
(何だろ緊急事態って?)
事務所の外へ出た後、不思議に思いながら、俺はメールで指定された場所へと向かった。

茶畑が広がる一角に立派な家が見える。きっとあそこだろう。
(でもなんでこんな所なんだ?)
「お邪魔します。」
俺は部長の意図が分からずに、中へと入って行った。
「おっ!来たね。こっちこっち。」
声のした方を見ると、少し離れた縁側に居る部長が手招きしている。そして、部長の隣には優しい面持ちの男が一人居て、目が合うと一礼して来たので思わず返していた。
「遠くまでわざわざすいませんね。どうぞ。」
縁側まで来ると、男がお茶を出してくれる。冷たい緑茶だったが、物凄く美味い。思わず驚いて俺は固まっていた。
「美味いだろ?あたしも最初はびびった。」
部長はそう言いながら、自分の分を飲む。
「あ、えと、それで緊急事態っていうのは?」
「うん、こっちのあたしの知り合い経由で気になる情報得たもんでさ。話して貰えるかな狭山さん。」
(えっ!?部長が「さん」付けで呼んでる!?しかも、丁寧だぞ?)
俺は変な所で驚いてしまっていた。
「はい。実は私、ふとした事がきっかけで765プロダクションの萩原雪歩さんと知り合いになりまして。彼女から気になる話を聞いたのです。」
「確か、765プロダクションといえば天海春香の所属している所ですよね?」
「ええ、そうです。雪歩さんは同じプロダクションに所属しているアイドルのお1人です。天海さんとも親交のある方です。その雪歩さんが、気になる話を偶然聞いてしまったみたいで、真意を知りたいもののどうして良いか困り果てて私に相談してきたのです。」
(問題はその話の内容って事か・・・。)
俺は察して軽く頷いて狭山さんの話の続きを聞く事にした。
「奥野グループが、奥野プロダクションを大きくする為に引き抜きをかなり検討していて、その中に天海さんのプロデューサーも含まれているとの事なんです。」
「ありそうな話ではありますね。俺はそう言う時蚊帳外なもので初耳です。」
俺は正直に苦笑いしながら言った。
「まあ、一番大きいのはそこじゃないんだけどね。やっぱ、聞かされて無いみたいだね。あんたは・・・。」
「えっ!?」
「実は天海さんのラストライブのタイミングで、天海さんのプロデューサーを引き抜く事と、もう一つ・・・。奥野えりこさんを引退させようという動きがあるみたいなのです。」
「ええっ!?えりこをっ!?」
部長が意味深に言った意味が分かったものの、その衝撃は俺には凄まじく大きかった。
「その役に天海春香のプロデューサーを使おうって魂胆みたいだよ。多分、天海春香も辞めるからあんたもどうだ。みたいに話を持ってくつもりじゃないかって、あたしは睨んでる。」
部長は真剣な顔で言う。
「雪歩さんの時同様、偶然にも奥野グループの方にお知り合いが居たのでお話をさせて頂いた訳です。まさか、奥野えりこさんのプロデューサーさんに直接お会い出来て、お話出来るとは思いませんでしたけれどね。」
「まあ、グループ拡張組が本気で動き出したって事だよ。それと、えりこちゃんやあんたを面白く思っていない連中も、かな。」
部長は忌々しく言う。
「俺は・・・。」
「ん?」
「俺がどうなろうが構いませんけど、えりこがせっかくここまで来たのに何で・・・。」
「簡単だよ。奥野えりこはただのお嬢様ならそれはそれで良かった。天海春香と並ぶアイドルの双璧にまでなってこのまま続けられるよりも、今の有名な状態で結婚してくれた方が価値がある。本人の事なんて二の次さ。」
部長がはっきりと言う言葉に俺はムカムカ来ていたが、狭山さんは苦笑いしていた。
「それと部長さんの言葉を聞いての私の予想ですが、奥野さんが貴方と仲が良いのを見ていて、危惧しているのもあるかもしれません。」
「あたしもそこの所の焦りもあるんだと思ってる。」
「?」
俺は狭山さんと部長の言っている意味が分からずに首を傾げていた。
「ったく、鈍いね。えりこちゃんがあんたの事が好きで、もしあんたのところに行っちゃったら政略結婚させられないって連中が焦ってるって言ってんのっ!」
(えりこが・・・俺を?)
「まあまあ。」
俺の首根っこを掴んで言う部長の言葉に驚いたのもあったが、俺自身そんな事を意識した事は無かった気がする。噛み付きそうなまでにエキサイトしている部長を俺から軽く引き剥がして狭山さんはお茶を飲ませて落ち着かせていた。
何となく猛獣と、猛獣使いを見ているようだった。口に出したら部長に何をされるか分からないので黙っておく。
「どちらにしても、奥野さんにとっては大きな事だと思います。貴方や、天海春香さんという周りの堀と同時にご本人も一気に突き崩してしまおうという企みですから。」
「あんたが知らないんだ。間違いなくえりこちゃん自身も知らないよ。」
「知っていたら大人しくしているとは思えません。」
えりこの性格を知っている俺は苦笑いしながら言った。
「ただ、雪歩さんの事ですから天海さんに話してしまって、それが奥野さんの耳に入る可能性は結構高いと思います。早い内に手を打った方が良いと思いますよ。」
「そんな訳で緊急事態って事なのよ。どうするかはあんたに任せる。助けが必要だったら言いなよ。ほら、早く行きな。」
「お二人ともありがとうございました。」
俺は二人に頭を下げると、すぐに狭山さんの所を後にした。
「どうなるかねえ・・・。」
「大丈夫じゃないですか?どうです、もう一杯?」
「貰おうかね。」
二人は見送りながら軽くやり取りしていた。

(プロデューサーからの呼び出し・・・。)
「大事な話があるって・・・何かしら・・・。」
私はいつに無く動揺していた。期待しているのかもしれない。胸の高鳴りを抑えながら私は車の後部座席で呟いていた。
「お嬢様着きました。」
♪〜
執事の言葉と同時にメールの着信音が鳴った。
「ちょっと待って頂戴。」
私はそういうと、メールを見てみた。
『しつも〜ん
奥野さん。プロデューサーさんを呼び出したりしましたか?』
「えっ!?」
私はメールの質問の意味が分からずにすぐにメールを打ち返した。
『ご回答と質問
私は自分のプロデューサーに呼ばれて今その場所に来ています。それと、天海さんのプロデューサーを呼び出す事はしておりません。どなたにお聞きになったのですか?』
打ち終って送信してから、返信が来るのを待った。
♪〜
『あれ〜?
プロデューサーさんが奥野さんから大事な話があるからって言ってさっき出て行ったの。奥野さんじゃ無いとしたら誰から呼び出されるんだろ???』
『気にはなりますが・・・
大事なお話があると私もプロデューサーから言われているので、申し訳ございませんがそれが終わってからでも宜しいでしょうか?』
私は思ったままをメールに打って返答した。
♪〜
『ごめんなさい
大人しく待ってます。』
(ごめんなさいね、天海さん・・・。)
携帯を握り締めて心の中で謝ってから、車を降りて指定されたホテルの一室へと向かった。

「失礼します。」
自分では緊張していないつもりだけれど、内心ではかなりドキドキしている。
「悪いなえりこ。オフなのに呼び出して。」
「いえ、それで大事な話とは何でしょうか?」
「俺はここで嘘は出来れば吐きたくない。話は二つある。だけど一つは俺の口からは言えないかもしれない・・・。」
真剣な眼差しだけれど、最後苦しそうな顔になるプロデューサーを見て、私の抱いていた甘い話とは違うと直感的に思った。
「構いませんわ。話せる事からお願いします。」
「実は奥野プロダクションの拡大を狙って、多くの引き抜きを掛けようという中に天海春香のプロデューサーの名前がある。」
(まさか・・・。)
私はさっきのメールを思い出して嫌な予感がしていた。
「あの、それはいつのお話ですの?」
「ついさっき部長と、その知り合いから聞いた。ニュースソースは天海春香と同じ事務所の子だから間違いないだろうって話だ。」
「・・・・・・。」
「どうした?えりこ?」
急に黙り込んだえりこを不思議に思って俺は声を掛けた。
「先程、私の名前を使って誰かが天海さんのプロデューサーを呼び出したそうです・・・。」
「うわ・・・。」
「プロデューサー、何とか居場所突き止められませんか?」
「部長に聞いてみる。」
慌てて俺は部長に連絡を取った。
そこからは早かった。あっという間に場所が分かった。部長からはなぜかとか聞くなと言われたが、正直怖くて聞けない。
えりかの意見で、765プロダクションに押しかけて、驚く周りをえりこが一喝して、呆気に取られている天海春香本人を乗せて目的地の料亭に向かっていた。
「えと、あの、どういうことかなあ〜?って聞いて良いんですかね?」
「貴方のプロデューサーがうちのプロダクションから引き抜きを掛けられているかもしれないの。」
遠慮気味に聞いてくる天海さんに、私は事実をそのまま語った。
「ええっ!?」
「プロデューサーから聞いて分かったんだけど、何ていうかその、やり方として嫌なやり方だし、私もプロデューサーも知らなかったの。」
私は申し訳ないのと、気不味さで言い訳がましくなってしまっている自分が凄く嫌だった。
「でも、私が言うのも変ですけれど・・・。それは奥野さん達にとってはプラスであって、私に言わなくても良いんじゃないかな〜と・・・。」
(あっちゃ〜、それを君が言っちゃうかな〜。)
俺はえりこの反応が予想できていたので、思わず内心で苦笑いしていた。
「天海さん、貴方はそれで良いの?」
「えっ?良くはないけど・・・。」
「貴方が、プロデューサーを好きなのは存じています。」
私は俯く天海さんに更に追い打ちを掛けた。
「へっ!?いやっ、そっ、それは、その、あのっ!?」
(うわっ、分かり易っ!真っ赤になって否定もして無いし!)
俺は後部座席でワタワタしている天海春香を見て驚いたのもあったが、同時に笑いを堪えるのに大変だった。
「それに、私はこの通り呼び出ししていません。つまり、騙されているんです。今頃どうなっているのかも心配です。」
「う、うん・・・。」
「私は貴方に彼はこれからも必要不可欠な存在だと思っています。だから、私に決着を付けさせて欲しいのです・・・。それがせめてもの罪滅ぼしです。」
「奥野さん・・・。」
思わず暗くなる後ろの空気。ここは少し言ってやるか・・・。
「俺は車で待ってる。えりこ・そこまで言ったんだ、ちゃんと決着つけて来いよ。後で幾らでも一緒に頭下げてやるからさ。気にしないで思いっきりやって来い。」
「ありがとうございます。プロデューサー・・・。」
少しして料亭につくと、さっきの少し沈みかけてたのが嘘のようにえりこは堂々と料亭に入っていった。逆に、天海春香の方は心配そうに着いていっていた。

「あの、奥野さん・・・。」
「はい?何かしら?」
料亭の廊下を歩いている時に天海さんから声を掛けられて、止まりながら振り向いた。
「奥野さんのプロデューサーさんって、とってもカッコイイね。」
「そうですわね。否定しませんわ。何度あの力強い言葉に助けられた事か・・・。」
「奥野さんもプロデューサーさんの事・・・その・・・好き・・・なの?」
「ええ。大好きですわ。」
少し聞き難そうに聞いてきた天海さんに、私はきっぱりと迷い無く言った。
「うわっ!?そんなにハッキリ断言しちゃう!?」
天海さんは意外だったらしく、驚いて目をぱちくりしている。
「うふふ。天海さん達の様に両思いでは無いかもしれませんけれどね。私は好きですわ。だから、好きな方と変な別れ方をして欲しくないですし、邪魔もしたく無いのです。私が天海さんの立場だったら貴方を叩いていたかもしれません・・・。」
「奥野さん・・・。そっかぁ・・・。私もそのくらい積極的になれたら変わるのかなあ・・・。」
「本人の前では恥ずかしくて言えませんけれどね。」
私はちょっと照れ隠しもあって、苦笑いしながら言った。
「えへへ。そうだよね。言えないよねえ。」
「では、隣の部屋で様子を見ますわよ。ここからは大声は厳禁ですわ。」
「うんっ!」
私は天海さんと頷き合って、隣の部屋のふすまを開けた。

部屋での一件が終わって、天海春香を送った後、車内にはえりこと二人きりだった。
「プロデューサーは、私のして来た事、お遊びだって思っていらっしゃいます?」
私は料亭の部屋では激高したけれど、嫌なものを見たのもあって、失言がポロリと出てしまっていた。
「本気でそれ、聞いてるのか?」
ゾクッ
凄く静かに言った一言だったけれど、私の背中に寒気が走った。
「ご、ごめんなさい・・・。」
私は反射的に謝っていた。そこから嫌な沈黙の時間が流れた。私は顔を上げられずに俯いていた。
「こっちこそきつく言って悪かった。その言葉、言われたんだな。」
「はい・・・。」
「思ってる訳無いだろ。えりこの本気を見せて貰って、俺だってそれに応えられるようにやってきたつもりだ。これからだってそれは変わらない。」
「プロデューサー・・・。」
私は泣きそうになったけれど、我慢していた。
(本当に・・・本当に・・・大好きです・・・。)
口にはどうしても出せなかったけれど、その分、何度も何度も心の中で反復していた。

それから数日後、天海さんのラストライブが行われた。そこでは私の送った生地で出来た衣装が最後で使われた。国内での活動はそこから暫く休止するとの事で、海外へ出るとの事だった。

・・・一ヶ月後・・・
残暑も終わりを告げようと言う頃、天海さんはいよいよ海外へ旅立つべく空港にいた。
私も見送る為に空港に来ていた。
「奥野さん・・・。」
「天海さん、泣いてはいけませんわ。今生の別れではありません。必ず成功して笑顔で戻って来て下さいな。」
「うん・・・うんっ。」
ぼろぼろ泣いてしまっている天海さんの涙をハンカチで拭きながら私は微笑んでいた。
「国内は私が支えていますから。ちゃんとして帰って来ないと居場所が無くなりますからね。帰ってきたら交代です。約束ですからね?」
「うんっ!約束するよっ!」
小指を差し出されて、私もそれに合わせて小指を結ぶ。指切りをして、泣きながらも笑顔の天海さんを見て確信した。
(きっと天海さんは成功する!)
最後に空港の屋上から飛んで行く飛行機をプロデューサーと見送っていた。

「国内で張り合いが無くなるのが寂しいか?」
「そうですわね。でも、約束しましたから。それに、おっしゃったじゃありませんか。自分の道を行けば良いと。」
私はプロデューサーの方を見ながら言った。
「そんな事言ったっけかなあ?」
俺は少しおどけるように聞く。
「おっしゃいましたっ!んもうっ、また、いじけますわよ。」
「いや、マジそれは勘弁してくれ。」
俺はズーンと沈んでいたえりこを思い出して青くなった。
「うふふ、冗談ですわ。」
お返しとばかりに、私は悪戯っぽく笑いながら言った。



天海春香と運命的に出会った1人の少女。
その名は奥野えりこ。
彼女がそれからも天海春香との関係を続けて行く事や、プロデューサーと恋に落ちて奥野グループを巻き込んで大騒ぎになったりするのは、また別の話である。