宗教について(2003.11.25)
宗教というと昔は全くといって良い程興味も無く、ただ断っていた。
まだまだ、10代の頃かな?
暫くして、いろいろな宗教がある事を知る事になり少しは興味を示す様にはなった。
それは、テーブルトークのメンバーが詳しい事もあった。
ただ、私はいつの頃からか真似をする事が嫌いになった。
出来るだけオリジナルを目指して、自分色を作るようにして来たし、これからもそれは変わらないと思う。
想像は自分で出来る事である。ただ、それも色々な経験や、外から得る知識もいる。だから、詳しく言えば真似なのかもしれない。
ちょいと脱線したが、宗教と言うものは思いの力の一つと位置付けた私は色々あっても良いと思った。それこそ人がそれぞれ違う様に考えが違うのも当たり前。ただ、腕力ではない思いの力はあると私は思っている。心なのかな。これは感覚だったり、人によって取り方も違うから上手く説明出来ないんだけどね(苦笑)
良い方が悪いかもしれないが、別に人をまとめるのに思想統制をするのに宗教を使う事があっても良いと思う。
宗教を信じ、信心深く一生を捧げるのも良いと思う。
それは、皆人の自由だと思う。
ただ、それを強制するのは私はどうかと思う。自由を奪い、縛り付ける事がいい事なのだろうか?私は良くないと思う。
私は、親や、特に祖父母に影響されていると思う。昔から語り継がれてきた事、やってはいけない事などを学んできたつもりである。
宗教を良い事としてを勧めるのは一向に構わないと思う。それに耳を傾けるのも自由だし、勿論信じるのも。ここ日本はそれが許されている場所なのだから。
宗教と言うのは、心の拠り所が無い人が頼るべきものだと私は思っている。
精神的に弱かったり、すがるものが無かったり、死を恐れたり、他にも色々な理由があるだろう。そういう理由で宗教を選択する事は悪いとは思わないし、むしろいい事だと思う。
私は少なくとも、今は自分を、友人を信じている。
楽をしたいと思うのは私も例外ではない。ただ、苦しみを知りそれを乗り越えた喜びを知った今となっては、苦しみもまた良いのかなと思う。
脅されて、運が尽きれば今までのずっと凄い苦しみに会うと言われたが、
それもまた良いのかなって。
嫌なんだけど良いんだよね(笑)受け入れるって言うのかな。
頑固な天邪鬼の私に宗教は合わないと思っている。
例え、自分以外がそれで幸せになったとしても、自分一人は苦しみに悶えながらも否定していそうな自分が思い浮かぶ(苦笑)
ただ、他を虐げる事をいうもの、他の全てを受け入れられないもの、そんなちっぽけな器としか思えないものが宗教だと言うなら、それを受け入れる事は私は無いかな。
悔しかったら、私が考えた優神くらい超えてみろってんだ(笑)っていっても知ってるのはたった一人の友人だけだったりして(爆)
人の優しさから生まれた、思いによって生まれた、そして、その思いの力を具現化するという・・・。
誰にだって、心はある。
「人は悪魔にだって神にだってなれる。」
私は昔から今もそう思っている。人の数だけ神がいて、悪魔がいる。それを、さっき言ったもので縛ろうっていうのは無理なんだよね。
最後に、私は宗教を完全に否定する訳じゃありません。
その人が信じるものが何であったとしても良いと思います。
それが、人によってはとんでもないものかもしれないけれどね。
とりあえず、今私が信じているのは、自分と周りにいる人達かな?それと、強い心や思いに宿る力かな・・・。
私には全然力なんて無いけれど、誰かのお役に立てればそれで嬉しいかな。
自分の生まれた意味、生き続ける意味になると思うから。
最後に一つだけ。つくづく、宗教の良し悪しの前に人としての徳の差というのを感じさるを得ない。