生き甲斐・人生について
2009.5.16
退院して直後の通院で、先生からクローン病で
「狭窄が腸閉塞にならないか心配で、なった時には死も覚悟して下さい。」
といわれた。取り方によっては相手を不安にさせて、下手すれば脅迫にも聞こえかねない言い方ではあるが、この先生の言い方なんだと私は思っている。
「はい、それでも構いません。なったらなったです。覚悟はしてます。」
自分でも言葉が自然と出たのは不思議でもあったけど、納得も出来た。
クローン病に成り立ての時だったら、精神的に参ってたかもしれない。
でも、もう付き合いも長いし、自分の半生はこの病気と歩んで来た過去があるから。
クローン病になるまでは、子供時代でなった時も21歳と日本で言う大人になったばかり。
人に良く言うのだが、そこで私は一回死んだものだと思っている。
今の私が生きているのは、今の世だから。医学が今のレベル無ければ無理だっただろうし、周りの人にも多く助けられている。
そして、今やっている同人活動も時代が時代なら無かっただろう。
今の時点で、貴方の生きがいは何ですか?
と聞かれたら、迷わず最初に同人活動と答える。
後は、ゲームや書く事かな。
クローン病になって、私は究極とも思える「健康」を失った。
病気に振り回された。食を制限され、体力を奪われ、たくさんのものを諦めた。人生も諦めかけたけど(笑)
私は20歳でコミケでの買い側から足を洗って、コミケには全く行かなくなった。
サラリーマンになって病気と闘うことから、向き合う事、付き合っていく事と、段々と変化して行った。
サラリーマン時代にも、色々な人のお陰で勉強になったことも沢山あったし、世の中も捨てたもんじゃないなと思った。
一つのものにのめりこむ性格の私は、アニメはからっきしになっていたけど、ゲームだけは細々と続けていた。
そのお陰で、PSOや今のアイマスに辿り着けたと思ってる。
昔、母親だった人間に「たかがマンガやアニメやゲーム、そんなもの詳しくなったり、上手くなったって何の足しにもならない。」といわれた事を今でも覚えている。
父親は、「どんな事でもやるなら納得行くまで、とことんまでやれ。」と言われたのも覚えてる。
水と油だった二人の間に居た私だったが、自然とどちらが自分に向いているのか、子供心に分かっていたのかもしれない。
また、最後に父親でも母親でもなく友達が居るからここを選ぶと行った昔の自分には拍手を送りたい。
そういう事が無くて、クローン病になっていたらと思うとゾッとする(滝汗)
皆さんは人生をどう思っているだろうか?
寿命とかをどう思っているだろうか?
私は、長さではないと思っているし、その本人がどれだけその中で輝けたか、自分として納得した人生を送れたかが一番だと思っている。
私は今35歳ですが、先の通りクローン病によって死ぬ恐れがあります。
怖いと思う自分も居ますが、良く分かりません。
それよりも、イベントで、本を出すために原稿を書くことや、色々な人に会えることを楽しみにしています。
過去に戻りたいという話を聞きますが、私は戻りたくありません。
ハッキリ言って意味が無い。私は、日々後悔の無いように生きているつもりだから。
それに、痛くなるのが分かってる過去に戻るっていうのは、マゾではないのでイヤ(笑)
今は好きな事をしたいというのが、私のわがまま。
「働けこのニート!」と言われても構いません。
今の私が働いたとて、足手まといや邪魔になるだけ。
不安定な体調の人間を雇うほど、世の中甘くないし、社会は健康な人を必要としているのを知っているつもり。
このままズルズル生きていけるのかもしれませんが、私は自分に出来る事を精一杯やっていきたいと思います。
私の生き方があっているか間違っているか分かりませんし、その正解を求めようとは思いません。
私に何が出来るのかは全て分かっているワケではありません。
ただ、現時点で自分に出来る事がわかっているので、それで人が喜んで貰えれば、笑ってくれれば自分が生き続けている意味があると思います。
生きている事はそれだけで、周りに影響を与えるものだと私は思っています。
現代の生きる亡霊かもしれない私は、ただの消費者だけではなく、作り手として一瞬でも何か残せるものを作り続けて行きたい。
きっとそれが、今の私に出来る事であり、生き方であり、人生なんだと思う。
今の時点でも、私はとても幸せ者なんだって思う。
「人」というこれも一つの究極といって良い財産を得続けています。失ったものを大きかったり多かったりしたけど、得たものはもっと大きかったと思います。
後は今の時代、自分の生きてきた時で良かったのだと思う。
今の氾濫してるアニメ・マンガ・ゲームの中、それを共有できる相手がそばに居た可能性はかなり低いと思うし、他にいくらでも娯楽や誘惑がある中で、ここまでのめりこめる性格に慣れたのかも怪しい。
「環境」も大きかったと思う。
そんな色々なものが重なったお陰で、、私は割り切れるのかも。もちろん割り切れない自分もいる事は否定できない。
でも、色々な物事に正面から向き合える私が居る事は間違いない。
人に言わせればまだまだ短い期間なのかもしれないけど、その間に色々なことがあったから。
それが、私を変化させた。成長なのかどうかは良く分からないけど(笑)
生きることを放棄する事だって出来ただろうし、今だってしようと思えば出来るはず。
でも、それをしないのは、間違いなく周りの人が居てくれるから。
そして、生き甲斐があるから。
だから私は生きていく。あとどれだけ生きられるのか分からないけど(笑)
既に落ちるものの無い砂時計に、沢山の想いを時間に変えていきながら。
その想いが貴方に何かを残すことを願って・・・。
貴方には生き甲斐ありますか?