チャオの婦長時代(前編)



チャオは順調に婦長としての仕事を全うしていた。
看護婦達からの要求に答え、時には叱咤激励していた。日に日に看護婦達からの信頼を得ていた。
その分センター長との衝突も多かった。レイアやミュールが知らない時にも直接ぶつかり合っていた。
新人教育にも熱心に取り組み、短期間で多くの優秀な看護婦を生み出していた。メディカルセンター内では、他の病棟からも看護婦の教育を頼まれるほどだった。
患者からの信頼も厚く、下手な先生よりもチャオに容態を聞いたりする患者や、患者の家族も増えていた。
そんな忙しい中でも嫌な顔一つせずチャオは頑張っていた。

そんな生活の中、あっという間に五年の月日が流れていた。

・・・メディカルセンター屋上・・・
チャオは少しの休憩時間を利用して、屋上で景色を眺めていたがぽかぽかしていたのでうとうとしていた。
「チャオ婦長。」
「んみゃっ?」
チャオは呼ばれて寝ぼけ眼で声のした方を見た。そこには、外科医のハリスが居た。
「ハリスかにゃ。手術とかは大丈夫なのかにゃ?」
目を擦りながら、チャオは聞いた。
「今日は急患無しで、今さっき予定の手術は終わった所だよ。ゆっくり休んでいる所申し訳ないね。」
「ふみゃぁ〜あ。そうかにゃ。別に構わないにゃ。わざわざ、こんな所までどうしたにゃ?第二外科病棟の患者さんに問題はにゃいと思うけど?」
(あたしに会う為に屋上に来たとしか思えにゃいけど、わざわざ何の用なのかにゃ?)
チャオは大きく伸びをしながらあくびをした後、不思議そうに聞いた。
「ああ、患者でも看護婦の事でも無いよ。そう言う事ならナースステーションで話すし。今回はチャオ本人に用があってね。」
「あたし、かにゃ?」
ハリスの言葉にますますチャオは不思議そうな顔になっていた。
「用件は二つ。まず最初は、どうかな、婦長も良いけど外科医目指してみないか?」
「ふみゃっ!?外科医?あたしがっ!?」
真面目な顔をして言うハリスに、チャオは驚いて目をぱちくりしていた。
「そう、冗談でもなんでもない。婦長として5年、看護婦として10年。合わせて15年現場を見てきているチャオ婦長として俺を含めた医師が歯がゆいと思った事も多々あると思う。自分で患者を救ってみようとは思わないか?」
「まあ、思わない事は無いにゃ。だけどあたしに医師なんてとても。勤まる以前になれるとは思えないにゃ・・・。」
チャオは苦笑いしながら本音を語った。
「そうか、だったら話は早い。これ、後でも良いから時間のある時にでも見てくれないかな。」
そう言ってハリスは一枚のデータチップを差し出す。
「まあ、一応見ておくにゃ。それで後一つって何にゃ?」
チャオは受け取りながら聞いた。
「あー、チャオは好きな人とか居るのかな?」
ハリスは少し気不味そうに聞き返す。
「にゃは〜ん。そういう事かにゃ。残念ながらあたしにはその気はにゃいからそういうのは駄目だにゃ。それに、あたしよりも若くて可愛かったり綺麗な人は沢山居るにゃ。」
「そっか、残念。俺だけじゃなくて他にもチャオ婦長狙ってるの居るから伝えとくよ。」
目を細めながらもキッパリと言うチャオに、苦笑いしながらハリスは言った。
ピピッ、ピピッ
チャオの胸にあるネームプレートから音がする。
「さ〜て、休憩終わりだにゃ。それじゃあたしはこれで失礼するにゃ。あたしなんかにうつつを抜かす時間があったら少しでも勉強して患者さんを救ってにゃ。」
チャオはハリスそう言いながらウインクして屋上から去って行った。
「は〜。そういう所が可愛くて仕方ないんだって。」
ハリスは去っていくチャオを見ながら、苦笑いして呟いた。
チャオは屋上からのエレベーターには乗らずに、リハビリ用にもなっている階段から降りていく。
「こ〜ら〜、こんな所で覗きなんてしてないでちゃんと仕事するにゃ。」
そう言いながら、階段を一段飛ばしで下りて行った。
「あっちゃあ、ばれてたよ〜。」
「うへ〜。参ったねこりゃ。」
「ハリス先生振られたっぽいねえ。」
その後、エレベーターが開いて数人の看護婦がそれぞれ呟いたり、言い合ったりしていた。

「ふにゅ〜ん。」
チャオは夜勤で暇な時に、ハリスから渡されたデータチップの内容を椅子に座って見ていた。
「婦長何見てるんですか?」
夜勤の看護婦の一人がチャオのコップにホットミルクを入れて渡しながら聞いてきた。そのうちに残りの看護婦やヘルパーも集まってきていた。
「うん、何でも外科医になるための条件だとか、どこに行ったら良いか何ていう情報だにゃ。」
チャオは端末を右手で動かして、左手でコップを受け取った後チビチビのんで、目ではデータを追いながら答えていた。
周りに集まってきた人は、興味深々で黙って見ていた。
「にゅ〜、アカデミーの助教授で学科が殆ど免除されるんだにゃ〜・・・。看護婦10年に婦長5年で実技も結構免除あるんだにゃ〜・・・。」
チャオはブツブツ言いながらデータを見ていた。
「養成学校通うとしても、今の勤務から見て最短でも10年近く掛かるにゃ〜。こりは駄目だにゃ。」
投げやりに言いながら、チャオは端末を落とした。
「ふにゃ〜。流石に看護婦ほどなるのは甘く無い・・・にゃ?」
椅子をくるっと回しながら振り向いて、全員が注目しているのに驚いて目をぱちくりしていた。
「婦長、外科医を目指したいんですか?」
「ま、まあ、今のままでも良いんだけどにゃ。外科医になれば直接患者さんを助けられるかにゃとは思うけど?」
何人かの看護婦に真面目な顔でにじり寄られて聞かれたので、ちょっと仰け反りながらチャオは答えた。
「私達が頑張ればどの位になるんですか?」
「ん〜、あたしの勤務時間次第だとは思うんだけどにゃ。ちょっと待ってにゃ・・・。」
変な迫力に気圧されたチャオは、再び向き直って端末を操作し始めた。
「妥当な線で5年って所かにゃあ。でも、これだと日勤だけとかで夜勤とか出来ないし論外だにゃ。」
チャオはその場で苦笑いしながら言った。
「私達の頑張りだけでは駄目なんですか?」
食い下がるように聞いてくる看護婦達の方へ、再び振り向くチャオ。
「皆が良いって言ってくれてもだにゃ、あたしの勤務時間を埋めるだけの看護婦やヘルパーさんが増える事を考えると、センター長や他の病棟の看護婦や婦長が黙って無いと思うにゃ。」
困った顔をしてチャオは皆を説得するように言った。
「そうですかあ・・・。」
皆は残念そうに呟いた。
(ふう、これで納得してくれればOKだにゃ。変な波風立たずに済みそうだにゃ。正直惜しい気もするけど、婦長だって十分にお役に立てるにゃ。)
チャオは内心でホッとしながらも、急に鳴ったナースコールに対して看護婦達に指示を出していた。

・・・次の日・・・
「婦長おはようございます。」
「婦長おはようございます〜。」
「おはようにゃ・・・。」
(これは誰か二人に昨日の夜の事話したにゃ・・・。)
妙にニコニコしているレイアとミュールを見てチャオはジト目をしながら答えていた。
勤務時間中特に何も無かったが、お昼になってお弁当だったチャオとレイアをミュールがわざわざ食堂に誘った。更に狙ったかのように奥の角の席に陣取っていた。
「こっちですよ〜、二人とも〜。」
ミュールに呼ばれてチャオとレイアは座った。
「で、二人とも何にゃ?昨日の夜の件以外だったら聞くにゃ。」
「え〜。それは無いですよ婦長〜。」
いきなりピシャッといわれてミュールは悲しそうな顔をした。
「あたしはそっちは別に良いんだけどさ。ハリスとどうなってるかの方が気になる。」
「ふみゃっ!?」
レイアから聞かれてチャオは目をぱちくりする。
「私もそっちも気になります〜。」
「二人とも何言ってるにゃ?」
チャオは訳が分からないといった感じで二人を見返していた。
「チャオとハリスができてるんじゃないかって専らの噂なんだよ。」
レイアはチャオの耳元でぼそぼそと囁く。
「はにゃぁ、そんな事一切無いにゃ。」
チャオはその場で溜息混じりに言った。
「そうなんですか〜?もう、深い関係で婚約かそれを飛び越して結婚だとかいう噂もあるんですよ?」
ミュールは半信半疑で噂の真相を語った。
「誰にゃ、そんな事言ってる奴は・・・。」
チャオはプルプル震えながら、怒りを噛み殺すように言っていた。
「落ち着けチャオ。あくまでも噂だ噂。本当の事じゃないのは分かったから、な?」
レイアはなだめるようにチャオの両肩をぽんぽんと叩きながら言った。
「でも〜、ハリスさんなら将来有望そうですし次期センター長候補なんて言われてますよね〜。」
「ミュー・・・」
グシャッ!バキャッ!
「あ〜あ・・・。」
チャオが無言で自分の弁当箱ごと、テーブルの一部を破壊したのを見てミュールに釘を刺そうとしたレイアは頭を抑えた。
「ミュール、それはどういう意味にゃ!!!あたしが人をお金や地位で見るとでも思ってるのかにゃ!?」
「えっ、えっ?そっ、そんな事は、な、無いですよ〜?」
ギロリと睨んで言うチャオの迫力に気圧されてミュールはしどろもどろになって答えていた。周りはこんなに怒ったチャオを見たことが無いのもあってシーンと静まり返っていた。
「ハリスなんてタイプじゃないにゃ!これで満足かにゃ!!!」
吐き捨てるように言って、チャオはズカズカと食堂から出て行った。
「ったく、ミュール。あんたねえ・・・。」
呆れたように、レイアはチャオの原形のとどめていない弁当箱を拾いながら言った。
「ううっ・・・チャオちゃん恐かったです〜。」
ミュールの方はカタカタと震えながらべそをかいていた。
「やれやれ、ありゃあ本気で頭来てたな。チャオにとって恋愛問題は触れられたくない部分なんだろうね。何となくあたしは分かってたけどさ。」
弁当箱と破壊されたテーブルの一部を見ながらレイアは苦笑いして言った。
「だったら、何で止めてくれないんですか〜。それに何で分かるんですか〜。」
「止めようとしたけど遅かった。あんた、少しは察しなっての。それと恋愛した事の無いミュールにゃわからんって事だよ。あたしはこれでも旦那も子供も居るからね。それなりのことは分かるつもりさ。」
「う゛〜。」
ミュールは何も言えずにその場で悔しそうに唸っていた。
「とりあえず、さっさと食ってチャオに謝りに行くのと、この修理代はお前持ちだからな。ちゃんとあたしも一緒にチャオの所には行ってやるから。それで良いな?」
「は〜い・・・。」
ミュールは素直に返事をして食べ始めた。
(まあ、これでチャオに対する下らない噂は無くなるね。これ見たら恐くて言えなくなるだろうし。しっかし、チャオも怒らすと恐いんだねえ。ファイリス婦長の比じゃないぞこりゃ。普通、このテーブル下手な物で殴っても変形すらしないもんねえ・・・。)
レイアは自分のお弁当を食べながら、チラッと壊れたテーブルと変形したチャオの弁当箱を見て思っていた。

ぐ〜
「う゛にゃ〜・・・。」
(お腹空いてたのもあるけど、あそこまで怒るんじゃなかったにゃ〜。お腹減ったにゃ〜。)
チャオはナースステーションに戻ってきて、テーブルに突っ伏していた。
「あの〜、婦長良かったら少し食べますか?」
気を使って弁当の看護婦が心配そうに聞いてくる。
「ありがとにゃ〜。流石に仕事に支障きたすと不味いから良かったら頂くにゃ。」
チャオは素直に好意を受けて、お弁当を少し分けて貰った。それを見ていた周りや患者、その家族からも一気に差し入れの山が集まった。
「な、何にゃ、これ!?」
チャオは山盛りの食べ物に驚いて目を丸くしていた。
「皆様からの好意での差し入れだそうです。」
最初にお弁当を分けた看護婦が少し困ったように説明した。
「そうかにゃ、残すわけにもいかにゃいし。休憩時間ももうないにゃ。頂きますにゃ!」
そう言うと、物凄い早さでチャオは食べ始めた。
「あの様子じゃ、割り込めないね。一旦夜勤との交代の時にしよう。」
「そうですね〜。はぁ、見事な食べっぷりですわぁ。」
うっとりしながら見ているミュールを何と言えない顔でレイアは見ていた。

・・・一週間後・・・屋上・・・
「レイア、こんな所に呼び出しだなんてどうしたにゃ?」
チャオは不思議そうに夕焼けにたたずむレイアの背中に声を掛けた。
「ああ、悪いね。実はさ、チャオ。あんた本気で外科医になるつもりがあるのかと思ってさ。」
振り向いてレイアは聞いた。
「ん〜。難しい所だにゃ。5年も日勤だけで許されるとは思わにゃいし・・・。」
チャオは苦笑いしながら答える。
「いや、現状で同行ってのじゃなくてさ、そういう気があるのか無いのかって事。」
「それなら、成りたいとは思うにゃ。ハリスから勧められたんだけど、実際に自分で患者を救えるって言葉に引かれているのは事実にゃ。今の立場でも患者さんのお役に立ててるとは思うけど、出来るなら自分でとは思うにゃ。実際に先生見てて歯痒い時もあるしにゃ。」
「そっか、じゃあ。やってみなよ。」
「にゃ!?」
「あたしさ実は来年辺りで辞めようかって思ってたんだよ。」
「にゃんですとっ!?」
レイアの言葉に連続して驚いたチャオはその場で固まっていた。
「子供もさ大分大きくなってきてね。旦那が上手い事やって出世したんだよ。だからあたしに家に居て欲しいって言うんだ。実際に子供が小さい時にあたしと旦那の共稼ぎで何とか食ってきたからね。それが今回の出世で旦那一人でお釣りが来る位になって、子供もそれを望んでてさ。」
レイアは再び夕日の方を向いて静かに話していた。
「そうだったんだにゃ・・・。」
「けどさ、チャオが外科医に本気でなりたいっていうんなら、後5年位なら勤めても良いかなってね。」
「レイア先輩・・・。」
背を向けながらも優しく言うレイアにチャオは思わず何年も言ってなかった言葉を口走っていた。
「こんな時に急に先輩とかいうんじゃないの。確かにさ、チャオの言う通りあちこちに根回ししないと無理かもしれないけど、一度しかない人生出来るチャンスがあるならやってみた方が良いと思うよ。あたしもさ、まさか自分に相手が出来て結婚して子供まで出来るだなんて思ってなかったからねえ。」
レイアは再び振り向いて、にっこり笑いながら言った。
「うん・・・。」
チャオは少し涙ぐみながら返事をした。
「何で泣くんだい?もう長い付き合いじゃないか。最初の頃にファイリス婦長に怒られたり、ドジったりしていた頃とは違うんだからさ。泣くんじゃないよ。全病棟の看護婦と組合はあたしが何とか抑える。元々組合はチャオには好意的な筈だし。あたしも無駄に長くは勤めてないから、他の病棟の頭になる看護婦や婦長には顔が効くからね。ミュールは結構医者連中と色んな繋がり持ってそうだし、やろうと思えば何とかなるよ。逆に言うなら今じゃないとそのチャンスは無いと思う。」
「・・・。」
「後はチャオのやる気と返事次第だよ。即答なんて待たないからさ。だけどそれなりに早くはしてくれよ。じゃないと、あたしは辞めてるかもしれないからね。」
腕を組んで考え込むチャオに、少し笑いながらレイアは言うとしゃがんで両肩をぽんぽんと叩く。
「コルファ・サテラもちゃんと見ててくれるよ。」
「っ!?」
そっと耳元で囁かれた言葉にチャオはびっくりして目を見開いて硬直する。
「せ、せんぱ・・・い・・・。」
(にゃ、にゃんで!?)
チャオは震える声で言っていた。
「安心しな、他に誰も知りやしないよ。力一杯出来る事をやれば良いと思うよ。あたし【も】ね。それじゃ、夜勤あるからこれで。」
そう言ってから立ち上がって、レイアは走って去って行った。
(コルファ・・・。レイア先輩・・・分かってたんだ・・・。)
ちょっとその場で涙が溢れていたが、少しだけ嬉しくなって微笑んだ。
「お〜い、ミュールに他の奴〜。食堂のテーブルみたいになりたくなかったら持ち場に戻れよ〜。」
レイアが階段から駆け下りながら言うと、ドタバタと音がしていた。
チャオは少しの間、夕日を見つめながら泣いていたが、涙を拭いてナースステーションへ戻って行った。

次の日にチャオは正式に外科医になりたいという意思を周囲に表明した。
レイアは言葉通りあっという間に看護婦達と組合を抑え、ミュールは医師の一部を押さえた。
更にハリスの協力もありチャオは5年の期限付きで、外科医になる勉強をする事をセンター長から許可され日勤のみの勤務になった。