チャオ婦長誕生(後編)



「流石はチャオね。」
(10年きっちり勤めたうえに、やっぱり前職のアカデミーの助教授というのも大きいわね。私よりも処理能力は格段に上だわ。)
電子カルテを閉じて、ファイリスは内心で感心しながら微笑んで言った。
「ありがとうございますにゃ。」
チャオは少し照れて頭を掻きながらお礼を言った。
「これで、私が教えられる事は全て教えたし、後はチャオ。貴方次第よ。じゃあ、引き継ぎは本日をもって完全に終了。今日はお疲れ様。」
「はいにゃ。でも、本当にこれで教えて貰うのが最後だと思うと寂しいですにゃ・・・。」
チャオは返事した後、そう言って俯く。
「私達はいつか老いるなり死ぬもの。だから、新しいものに受け継がなくてはならないのよ。出会いがあれば、別れがある。それに、私ともう会えなくなる訳じゃないからね。」
そう言いながら、チャオを頭ごと優しく抱き締める。
(婦長・・・。)
「ふみゃ〜。」
チャオは、今までのファイリスとの記憶を思い出しながらファイリスの胸で泣き始めた。
ファイリスの方も、少し涙ぐんでいた。
「すぅ・・・す〜・・・。」
少しすると、チャオの方が普通に疲れたのか泣き疲れたのか分からないが、眠っていた。
「うふふ、無邪気な寝顔で可愛いわね。」
(私は老いたけれど、貴方は本当に来た時と全く変わらないのね・・・。)
ファイリスは微笑みながらチャオのポニーテールから少し乱れて顔に掛かっている髪の毛を優しくどけてから、頭を撫でていた。その後、目を静かに閉じる。
昔の光景が甦ってくる。



「は、初めましてにゃ。チャオですにゃ。宜しくお願いしますにゃ。」
緊張した面持ちでどもりながら、チャオはギクシャクとお辞儀をした。
「はい、宜しくね。私は婦長のファイリス。初めてで分からない事ばかりだろうけど、慣れて行きましょうね。」
(前職はアカデミーの助教授と聞いていたけれど、変にすれて居ないのね。)
そんなチャオの緊張をほぐす様に微笑みながら優しい口調で言うファイリス。
「はいにゃ。」
(優しそうな人で良かったにゃ。)
チャオの方は安心して元気良く返事をした。


「ふ、婦長・・・し、死んでる・・・死んでるにゃ・・・。」
チャオは看護婦になってから初めて見る人の死に動揺して硬直していた。
「チャオ、しっかりなさい。離れてっ!先生、蘇生お願いします。」
ファイリスは固まって動けないで居るチャオを揺さぶりながら、心配停止状態の患者から離す。
「ファイリス婦長、計器確認宜しく。」
医師が緊迫した口調で言う。
「はいっ!」
電気ショックや、蘇生剤を注入すると一旦無反応だった計器に数値が戻ってくる。
「チャオ!点滴のライン繋いで!急いでっ!」
「は、はいにゃっ!」
チャオはファイリスの声に弾かれる様に、動き出した。
そして、その日一日患者は奇跡的に意識を取り戻した。しかし、家族との面会を終えた後、亡くなった。
「ふみゃ〜ん、婦長〜。私が悪いんですにゃ〜。」
チャオはナースステーションで泣きじゃくっていた。
「何を言ってるの。昨日の夜、対処出来たお陰で、ご家族と挨拶する事が出来たのよ。もう一ヶ月以上も意識不明だった患者さんの最後の手助けが出来たの。誇りに思いなさい。私達は、救うことが出来るかもしれない、でも逆に出来ないかもしれない。ただ、せめて最後を看取る事はして上げられるわ。」
「うぅ・・・はいにゃ・・・。」
チャオは泣きながらも返事をする。
「これからも、多くの人の笑顔、泣き顔、苦痛に歪む顔、退院していく患者さん、死んでいく患者さん・・・色々見ていく事になるわ。強くなりなさいチャオ。貴方は、アカデミーの助教授という立場を捨ててまでも来た場所。これか、その現実よ。全てをその目に焼き付けて、貴方に出来る事を全力でやりなさい。それによって、救われる患者さんが必ず居ます。良いですね?」
ファイリスの真剣な話に、チャオはいつしか涙も止まりファイリスの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「チャオ、返事は?」
「はいにゃ。分かりましたにゃ。でも、また泣くかもしれにゃい・・・。」
チャオは答えた後、自身無さそうに言う。
「その為に、私や周りの人々が居るのよ。貴方は一人じゃない。」
ファイリスは自分にも言い聞かせるように力強く言った。
チャオはその言葉に潤ませた瞳で笑った。


「婦長・・・納得できませんにゃっ!」
チャオは真夜中で二人きりのナースステーションでファイリスに詰め寄った。
「・・・。」
ファイリスは何も言わずにチャオは見返していた。
「答えて下さいにゃっ!」
今にも掴み掛かりそうな勢いで目の前でつばを飛ばしながら怒鳴る。ファイリスは冷静に顔に掛かったつばを拭いた。
「チャオ。貴方の昔に培った力を使いなさい。医師だけでなく外科部長だけでなく、
センター長をも納得させる答えを出しなさい。そうしたら、私が何とかしてあげる。」
ファイリスは目の前で睨んでいるチャオに対して静かに言った。
「約束ですにゃ。」
「私がこういう時に嘘をついたことがあるかしら?」
「・・・。」
チャオはファイリスの言葉に納得したように頷いて引き下がった。
二日後、第二外科病棟から出た一部の文章データがメディカルセンターを激震させる出来事を起こした。ただ、その事実を知っているのは第二外科病棟の看護婦ではファイリスのみだった。



(本当に色々なことが有ったわね・・・。)
ファイリスは仮眠室にチャオを寝かせてから、家路についた。

・・・次の日・・・
「おはようございますにゃ。本日をもってファイリス前婦長は辞職されますにゃ。最後のご挨拶をお願いしますにゃ。」
朝礼での最初のチャオの言葉でファイリスがチャオの横に立つ。
「私はこのメディカルセンターに看護婦として来て、30年になります。今までも色々な事がありましたが、これから皆さんにも色々な事があるでしょう。私がそうであったように、皆さんには信頼出来る仲間が居ます。そして、新しく婦長になったチャオも居ます。皆で力を会わせて患者さんの為に頑張って下さい。皆、今まで、私を支えてくれてありがとう。ここに居る皆が私にとって誇れる宝です。」
パチパチパチパチパチ・・・
暫くの間、大きな拍手が鳴り止む事は無かった。
「今日からは、チャオ婦長を中心として新しい第二外科病棟として頑張って下さい。もし、私が患者としてくる事があったら、ここを指定して来ますので宜しく。」
ファイリスは最初は真面目に言っていたが、最後は少し茶化しながらみんなに向かって言った。
「ファイリス婦長。本当にありがとうございました。後の事は任せて下さい。」
レイアの方がそう言いながら、ファイリスに大きな花束を渡した。
「ありがとう、レイア。チャオを支えてあげてね。」
「無論です。」
花束をやり取りしている間に小声で二人は言い合った。
「ファイリス婦長〜。これは、ここに居る皆からのプレゼントですぅ。本当にお別れ会しちゃ駄目ですかぁ?」
ミュールはプレゼントを渡しながらも、食い下がるように聞く。
「ありがとう、ミュール。そして皆。貴方達は忙しいんだから無理にしなくて良いわ。個人的にしたい人だけで良いわよ。」
ファイリスは軽く流すように答える。
「私とレイアとチャオちゃんとは飲んで貰いますからねぇ。」
「構わないわよ。」
こっちも二人でコソコソと話していた。
「ファイリス婦長、本当に長い間お疲れ様でしたにゃ。そして、ありがとうございましたにゃ。」
チャオの言葉に、皆がファイリスに頭を下げる。
「本日は周囲への挨拶周りをされるので、用事がある人は休憩時間か勤務が終った後にして下さいにゃ。それでは、本日のお仕事開始にゃ。」
「はいっ!」
チャオの言葉でレイアとミュールを含む看護婦達全員がナースステーションから出て行った。

「それじゃあ、今日から正式に一人で婦長として頑張ってね、チャオ。」
「はいにゃ。ファイリス婦長もお元気でにゃ。また、飲みにでもお誘いしますにゃ。にゃは・」
「連絡待っているわよ。」
ファイリスはそう答えると、ナースステーションから出て行った。
「さ〜て、頑張らにゃいと。」
チャオは軽くガッツポーズをして気合を入れた。
(大丈夫そうね・・・。)
ファイリスはそんなチャオを、廊下の途中で微笑みながら見ていた。
少ししてセンター長室へと向かった。

コンコン
「どうぞ。」
「失礼します。」
センター長の返答があってから、ファイリスはセンター長室へと入った。
「ファイリス。本当に長い間お疲れ様。」
「ありがとうございます。」
「これからは、ゆっくりするのかね?」
「プライベートに関しては、申し訳ございませんがお答え出来ません。」
「ああ、そうだったな。」
二人はいつものやり取りに笑い合った。
「チャオ君は大丈夫そうかね?」
「全く問題ありません。むしろ一ヶ月前にも申し上げましたが戦々恐々となるのは、センター長を含めた方々かと。」
「そうか・・・。」
ファイリスの言葉に、センター長は苦笑いする。
「私よりも、数段上手ですからね。若い先生方は泣くかも知れませんよ。」
「そんなにか・・・。」
少し冗談めかして言うファイリスだったが、センター長の方は益々苦い顔になっていた。
「それでは、他の方にも挨拶に回りますので私はこれで。本当にお世話になりました。」
ファイリスはそう言ってから、深々と頭を下げた。
「うむ、本当にお疲れ様。今までありがとう。」
センター長は少し寂しそうに笑いながら頭を下げているファイリスに向かって言った。
「失礼致します。」
ファイリスは少し瞳が潤んでいたが、そのままセンター長室を後にした。

・・・3日後・・・
「センター長。これはどういう事ですかにゃっ!納得出来ませんにゃっ!」
チャオは物凄い血相で、センター長に迫っていた。目の前にはデータ端末が置かれていた。
「チャオ婦長。君は何を守る?患者か?看護婦達か?その為に自分がどうなっても良いというのか?」
センター長は少し脅し気味に言う。
「勿論最優先は患者さんですにゃ。次に看護婦達ですにゃ。私自身がどうなろうと構いませんにゃ。首にするならして下さいにゃ。レイアもミュールも居ますにゃ。」
チャオは臆することなくキッパリと言う。
「分かった・・・分かった・・・。で、チャオ婦長の要望は何だ?」
(確かにこれはファイリスよりも強敵になりそうだな。)
内心でそう思いながらも、センター長はいつもの口調で聞いた。

「皆、喜ぶにゃ。あの理不尽な規則は廃止になって、新しい規則が出来るにゃ。細かい事は三日以内に発表されるから、皆端末をちゃんと見ておくにゃ。」
「マジかよ!?チャオ婦長、あの案を飲ませたのか!?」
「チャオ婦長〜。まさかぁ、センター長に直訴してないですよねぇ?」
驚くレイアとミュールは思わずチャオに向かって聞く。
「当然センター長に条件飲ませたにゃ。それが、婦長としての仕事でもあるにゃ。」
チャオはにっこり微笑みながら言う。
「は〜。先行き恐ろしいね。全く。まあ、味方だから良いけどさ。」
驚きながらも、レイアは笑いながら言った。
「うふふ〜。私達としては心強い限りですわぁ。」
ミュールは嬉しそうに言う。
「他の皆も何かあったらすぐに言ってにゃ。患者さんも大切だけど、それを見守る私達もきちんとして無いと、いざという時に力を発揮出来ないにゃ。」
(ファイリス婦長。私頑張ってやって行きますにゃ・・・。)
皆から帰ってくる返事の中、チャオは決意を新たにしていた。

チャオの婦長としての新しい日々が始まった・・・。