チャオ婦長誕生(プロローグ)



チャオがメディカルセンターで正看護婦になってから10年が過ぎようとしていた。
「おはようございますにゃ。」
「おはよう。」
夜勤のチャオは朝だったが疲れも見せず元気良く早起きの患者に挨拶した。既にベテランになっていたチャオは今回の夜勤の責任者だった。
「チャオさ〜ん。」
困ったような声が廊下に木霊した。
「はいにゃ〜。」
チャオは声のする方へと小走りに移動して行った。オロオロしている看護婦の前には機材がバラバラにぶちまけられた状態と、それを乗せていた台が医療ロボットに激突してショートしていた。
「あっちゃあ。これは酷いにゃ・・・。とりあえず、事務にロボットの事を連絡入れるにゃ。後片付けはあたしがやっておくにゃ。」
「すいませ〜ん。」
看護婦の方はワタワタしながら走って行った。
「あの子も慌てなければ良いんだけどにゃあ。」
チャオは散らばった医療器具を片付けながら、去っていった方を見て呟いた。あっという間に散らばった医療器具を片付けて、運ぶ為の台を廊下の端に置いてストッパーをかけた。それから感電防止ハンドグローブを付けて医療ロボットも端へ置いた。
この医療ロボット実は100kgをゆうに越えるのだがチャオはあっさりと持ち上げていた。
そこまでの作業が終った所で事務のローがやってきた。
「やれやれ、また派手にやったなあ。」
「ローおはようだにゃ〜。」
ローとチャオは看護婦と事務員とで職種は違っていたが同期だった。感電防止ハンドグローブを付けたまま手を振るチャオにローは苦笑いしていた。
「おはようチャオ。今月に入って3台目だぞ。しかも全部こっちの仕業だ。」
連れて来た新人の看護婦の方を少し睨みながら言う。新人の看護婦の方は気不味そうに小さくなっていた。
「しょうがないにゃ。機械は取り替え効くけど人はそうは行かないにゃ。それに、わざとやってる訳じゃないにゃ。」
「そんなの分かってる。またセンター長から怒鳴られるぞ。全く・・・。」
呆れたように溜息をつきながらローは言った。
「お小言位で済むなら構わないにゃ。」
「見積もりだして、一部は給料からの天引きになるかもしれないからな。その覚悟はしとけよ。」
「ふみゃっ!?」
チャオは驚いてその後声を掛けようとしたが、ローはすぐに去って行った。
「本当にすいません、すいません。」
新人の看護婦は頭をぺこぺこ下げて涙ぐみながら謝った。
「終わった事だにゃ。それよりも、引き継ぎまでにやる事やっちゃうにゃ。」
「はいっ。」
そこからはてきぱきと外科病棟を回って朝の引き継ぎまでに出来る事を見事にやり終えた。

「おはようございますにゃ。引き継ぎを始めますにゃ。」
チャオの挨拶で看護婦だけでなく揃った医療スタッフ一同がそれぞれ電子カルテなどを開き始めた。
「全体的に大きな変化はありませんにゃ。1024のセリアさんが少し風邪気味で喉が痛いそうですにゃ。喉の腫れはみられにゃいので、そんなに酷くは無いと思いますにゃ。それと、2045のガルドさんが転倒してその時庇ったんですれど、足を少し捻ってますにゃ。痛みも無く腫れ等は見られませんが念の為見て貰って下さいにゃ。患者さんについては以上ですにゃ。」
「後他にも何か?」
婦長の方が不思議そうにチャオに聞いた。
「はいにゃ。」
ちょっと苦笑いしながらチャオは返事した。それを見て、皆は何となく察していた。
「その報告は私が後で別途聞きます。それで良いですね、チャオさん?」
「はいにゃ。それ以外は特にありませんにゃ。」
「それでは、昨日の夜勤の方々お疲れ様でした。帰ってゆっくり休んで下さい。そして、本日の勤務の方々、気を抜かずに頑張りましょう。」
婦長の言葉が終ると看護婦を含め医療スタッフがそれぞれの持ち場に散っていった。
「チャオさん。あっちでね。」
「はいにゃ。皆は先に帰ってて構わないですにゃ?」
チャオの言葉の返事を待つように昨日の夜勤の看護婦の何人かその場で立っていた。
「構いませんよ。お疲れ様でした。」
「お疲れ様でした。」
チャオ以外の看護婦は婦長に挨拶すると次々とナースステーションから出て行った。婦長とチャオはナースステーションの奥の方へと移動していった。
「それで、またあの子ですか?」
「はいにゃ。」
聞く婦長も答えるチャオも苦笑いしていた。
「全く困ったものですね。」
婦長の方は溜息をつきながら言った。
「少し、慌てちゃうとそういう所はありますけど、全体的にはとっても優秀な看護婦ですにゃ。最近ではピカイチですにゃ。」
チャオはフォローするように言う。
「まあ、それは分かっています。でも、センター長から処分を検討してくれと言われているの。」
「にゃんですと!?」
渋い顔をして言う婦長の言葉に驚いてチャオは叫んでいた。
「実はね私、そろそろ辞め様かと思っているの。」
「にゃ、にゃ、にゃんですと!?!?」
婦長から続けて出た言葉に更に驚いてチャオは目を真ん丸くしていた。
「それでね、私の代わりに婦長になれるのはと考えて、貴方、ミュール、レイアの三人の中から選んでセンター長へ進言しようと思っているの。」
チャオは自分が婦長候補に上がっている事なんかよりも、婦長が辞めるかもしれない事と、新人看護婦が辞めさせられるかもしれない事の方に気が向いていた。
「それでね、貴方を薦めるとしても、あの子がネックになってしまうの。」
「その事だったら、私はいいですにゃ。どちらかの先輩になって貰えればそれで良いにゃ。」
チャオははっきりと言った。
「でもね、そうも行かないのよ。貴方の実績は皆に知る所だし、私としては正直、ミュールはちょっと不安なのよね。」
「ふみゃ!?」
婦長の言葉の意味が分からないチャオは思わず首を傾げた。
「ミュールは個人としてはとても優秀だけれど、皆をまとめる力というのは貴方やレイアと比べて圧倒的に低いのよね。」
チャオはそう言われて、ミュールのいつもの行動などを思い浮かべていた。
(確かに婦長の言う通りかもしれないにゃ・・・。)
思わずチャオは無言のまま何度か頷いていた。
「レイアの方は、ある意味逆で皆をまとめるのはとても上手だけれど、個人的にはちょっとずさんな所があって不安なのよね。」
「にゅ〜・・・。」
それに関しては考えるまでも無く婦長の言う通りだったのでチャオは腕を組んで唸った。
「貴方はどちらも問題ないし、出来れば貴方になって欲しいって私は思っているの。そうすれば安心して辞める事も出来るわ。」
「私はそんなに優秀じゃないですにゃ。」
婦長の言葉にチャオは苦笑いしながら言った。
「そんな事は無いわよ。確かに最初こそ慌てた所なんかはあったけれど、今や貴方が居ないと困るしね。センター長にも私が辞める事は止められたのだけれど、私も訳ありでね。」
婦長は最後の方をちょっと辛そうに言った。
「本意では無いんですにゃ・・・。」
チャオの言葉に婦長は黙って頷く。
「私が跡継ぎとして安心して見送りたいとは思いますけどにゃ、あの子を辞めさせる事には反対ですにゃ。」
チャオの言葉に婦長は困った顔になる。
「最初は私もあんなだったですにゃ。それを庇ってくれたのは婦長ですにゃ。それで、10年経ってここまで育ててくれましたにゃ。」
「そうね。懐かしいわ。貴方はきっと良い看護婦になるって思ったもの。」
婦長の方は少し微笑みながら昔を思い出すように笑った。
「あの子も同じですにゃ。婦長が私にそう思ってくれたみたいに、私もあの子をそう思いますにゃ。」
チャオは真剣な表情で言う。
「ふう、仕方ないですね。大丈夫だったらこれからセンター長の所に一緒に行く?」
「はいにゃ。」
チャオは婦長の言葉に、にっこり笑って元気良く答えた。

・・・センター長室・・・
「それで、あれだけの被害を出したにもかかわらず、この看護婦を不問に伏せと?」
センター長は画面を見ながら婦長とチャオの方に聞いた。
「不問に伏せとは言いません。ただ、辞めさせるというのは止めて頂きたいだけです。」
婦長の言葉にセンター長は渋い顔をした。
「弁償させるにしても、一看護婦ではとても払い切れる金額ではない。その位は分かっているだろう?」
「勿論存じております。」
婦長はキッパリと言い切った。
「チャオ君。君はどう思う?」
「確かにとても高い出費だと思いますにゃ。でも、一人の優秀な看護婦はお金では買えませんにゃ。」
チャオは素直に思っている事を答えた。
「ふむ、しかしその看護婦もお金が無ければ育てる事も出来ん。優秀でなくとも医療ロボット一台分でかなりの人数の看護婦を育てる事が出来る。」
言っていることがもっともなので、チャオはぐうの音も出なかった。
「センター長。一看護婦にその言葉はきついと思います。彼女達は患者さんと直接向き合う大切な子達です。全額にはならないでしょうが、私の退職金は一切要りませんので、わずかでしょうが彼女の穴埋めの分として下さい。」
「ふにゃっ!?」
チャオもセンター長も婦長の言葉に驚いた。
「私はまだ、君が辞める事を了承した訳ではないぞ。」
「私が居なくとも、ここに立派な跡継ぎが居ます。何も心配する事はありません。」
センター長の言葉に婦長はにっこりと微笑んで答える。
「私・・・あの子を辞めさせるというのなら、私も辞めますにゃ!」
「ええっ!?」
「何だと!?」
チャオの突然の発言に婦長もセンター長も驚きの声を上げる。
「今貴方に辞められたら、外科病棟は大変な事になるわ・・・。」
婦長は真剣な表情になって冷や汗を垂らしながら思わず呟いた。それを見て、センター長の方は再びチャオの方を見る。
「センター長。私が辞めるよりも、チャオが辞める事の方が重大な問題です。私が辞めなくてもチャオに今辞められたら、外科病棟をまとめていく自信はありません・・・。」
「うむむ・・・。」
婦長の言葉にセンター長は唸って腕を組んで考え込む。
「何故かと言えば、患者さんの受けの良さもありますがNO.2的存在のミュール、レイアが言う事を聞いてくれるか不安ですし、医療スタッフの中にもチャオを慕っている人達が沢山居ます。それは、センター長も御存知の筈かと。」
追い討ちの様に婦長が続けて言う。
「分かった。彼女については不問に伏そう。ただし、今後同じような事があった場合には解雇は無くともそれ相応の処分が出ると思ってくれ。」
「はいにゃっ!」
チャオは嬉しくなって返事をした後に思わず婦長を見ていた。婦長の方も嬉しそうに微笑んでいた。
「それと、ファリシア婦長。」
「はい。」
「君の辞職を認めよう。後の人事を決めるのと引き継ぎで暫くは居てもらう事になるが構わんな?」
「かしこまりました。勿論構いません。」
センター長はそう言ってから一つ大きな溜息をついた。
「後で、改めて呼ぶので、職務に戻ってくれ。ご苦労様だった二人とも。」
「失礼致します。」
「失礼致しましたにゃ。」
婦長とチャオはセンター室を出てからお互いにくすくすと笑い合った。
「後は、私とセンター長、それと他の偉い人達で後の婦長を決めるから。」
「婦長、本当に辞めちゃうんですにゃ?」
チャオは寂しそうに聞く。
「そうね、暫くそのつもりは無かったんだけれど仕方ないの。」
「ふにゃ〜ん。」
チャオは思わず婦長に抱きついて泣き始めた。
「あらあら・・・。仕方ないわね。」
婦長は苦笑いしながらもチャオを優しく抱き締めて頭を撫でた。暫くの間そのままの状態が続いていた。
「まだ、少しの間は居るから。それに、全く合えなくなる訳じゃないんだから。」
少し落ち着いてきたチャオの様子を見て、頭をポンポンと軽く叩きながら婦長は言った。
「はいですにゃ。」
チャオは涙を拭きながら返事した。
「今日はゆっくり休んで、また明日から宜しくね。」
「はいですにゃ!」
微笑みながら言う婦長の言葉にチャオは元気よく返事をした。
「お疲れ様でした。」
「お疲れ様でしたにゃ。」
チャオは一礼して婦長に背を向けて歩いて行った。婦長はその姿を微笑ましそうに見送ってからナースステーションへと歩き始めた。