チャオ先生の電子カルテNO。2



チャオが外科医になってから5年が過ぎようとしていた。
今ではすっかり、メディカルセンターの顔の一人になりつつあった。
しかし、まだ手術の腕はそんなに高くなく、どちらかというと診察の方で名が売れていた。

「急患ですっ!」
今日もまた一人の急患が外科病棟に運ばれてきた。
しかし、今回の患者の病気は特別なもので前例の無い手術をしなければならなかった。その為、センター長以下全員の医師が会議室に呼ばれる異例の事態になっていた。

「というように、今回の事例は前例の無い手術となり難易度も高く成功率も低いものになると思われます。」
外科部長の説明が終わるとホログラフが消える。会議室には重苦しい空気が漂っていた。
「今回の手術は外科部長に行って貰う。全員は全力でサポートをするように。以上、解散。」
センター長であるハリスの一声で全員が席を立ち会議室から出て行った。

「にゃんで・・・。にゃんで先生なんだにゃ・・・。」
チャオは病室で涙混じりに言っていた。
目の前のベッドにはルーの父親であり、亡くなったフレナの夫である元メディカルセンターの外科医が横になっていた。多くの計器が繋がれていて、点滴もぶら下がっていた。
「チャオ先生。私はもう先生ではない。それに、これで良いんだ。私は十分に長生きした。今回の手術が成功するにせよ失敗するにせよ、これから同じ病気の患者さんを救える礎になれるのなら喜んでなろう。」
「そんにゃ・・・。残されるルーはどうなるにゃ?まだ、結婚だってして無いにゃ。孫の顔見たくないのかにゃ?」
チャオはポロポロ泣きながら聞く。
「・・・。そうだな・・・。今となっては生きているのはルーと後妻だけだ。後妻も、もう長くはあるまい。心配ではあるが親が先に行くのは仕方の無い事だ。それに、フレナは喜んでいるだろう。あの患者だったチャオがフレナが生きた期間と同じ位の年月看護婦をやって、今は外科医になっている。毎日多くの患者と向き合っている。娘のルーもチャオ先生のお陰で少しはマシな看護婦にもなっている。こんな素晴らしい事は無い。」
弱々しくも笑いながら相手は言う。
「そんな事無いですにゃ。あたしはフレナに貰ったものを皆に返しているだけですにゃ。それに、もっとあたしに腕があれば、治してあげられたかもしれにゃいのに・・・。悔しいですにゃ・・・。」
チャオはそう言って、溢れる涙も気にせず悔しそうに唇を噛んだ。
「なに、出来る事をやれば良いんだ。変に欲張る必要は無い。その悔しさをばねにして成長していけば良いんだ。私の次の患者が現れる時には、チャオ先生が完璧に治して上げられるようになっていれば良い。良いんだよチャオ先生。私は幸せ者だ。フレナと出会え、ルーと言う誇れる娘を持ち、そして、今目の前に居るチャオという後輩を持った事を。」
(物凄い痛い筈にゃのに・・・にゃんで・・・。)
「うっ・・・ふぐぅ・・・ふみゃぁ・・・。」
やはり微笑みながら言う相手に一生懸命しゃくりあげながら我慢しようとしていたチャオだったが、力が抜けて、その場で膝をついて泣き始める。
「聞こえているかわから無いが、人にはそれぞれ役目があると私は思っている。だから私の最後の役目はこれだったんだ。チャオにはまだやらなければならない事がある。だからこれからも生きていくんだ。そして、やるべき事をしっかり終える。その時に自然と死というものが訪れるだろう。フレナはチャオにその気持ちを伝えるのが最後の役目だったんだよ。それはこうして脈々と受け継がれている。メディカルセンターの中も大分変わった。今回入院してみて良く分かったよ。チャオ、君はこれからここを変えて担っていくんだ。これからも、多くの患者と向き合いその心に希望を与え、その手で一人でも多く救うんだ。それが今私に言える君への最後の言葉だ。」
「せん・・せ・・・い・・・。」
チャオは涙でボロボロの顔で真面目な顔をして言う相手の顔を見ていた。
「後の事は頼む。そして、ルーを頼む。」
「は、はいにゃ。今ルーを連れてきますにゃ。」
相手に言われて、立ち上がりながら返事を返した後、チャオは部屋を飛び出して行った。
その後、ルーと後妻の二人と話しをし終わって、意識を失い昏睡状態に陥った。

次の日の早朝、緊急手術が行われたが手術は失敗し帰らぬ人となった。
そして、その日の夜後を追うように後妻も容態が急変し日付が回る前に亡くなった。
二人をほぼ同時に失ったルーは錯乱状態になり、病院に来れなくなった。

「ルー・・・。」
傷だらけであちこちから血が滴っているチャオは、やっと寝付いたルーを見下ろして呟いていた。
ついさっきまで、錯乱して暴れていたルーを何とか取り押さえて説得して眠らせたのだった。
「うにゃっ・・・痛いにゃ。」
チャオは救急箱を取り出して、自分の応急手当をしていた。
「はぁ・・・あたしにもっとうでがあったらにゃ〜・・・。」
どうしようもない事は分かっていたが、言わずには居れなかった。
(フレナにも顔向けできないにゃ・・・。)
そう思うと、自然と涙が溢れてきていた。
薄暗い部屋の中で、葬儀を明日に控え何とか出席だけでもして貰おうと、色々な人がやってきたのだが駄目で最後の手段としてチャオに白羽の矢が立ったのだった。
ルーの父親は元々メディカルセンターの外科医で、退職する前には外科部長をしていた事もあり、その辺も考慮に入れて何とかメディカルセンターの方でも葬儀に協力したい意向があった。
チャオは最初そういう意向は不満ではあったが、ルーを何とか父親と母親の最後の見送りの場に立たせたいと思って引き受けたのだった。
(あたしが同じ立場でも、きっとこうなっていたと思うにゃ・・・。それだけに、あんまり強く言えないにゃ。)
苦笑いしながら、チャオはルーの寝顔を見ていた。
「やっぱり、何となくだけどフレナの面影があるにゃ・・・。」
チャオは呟いて、フレナが目の前で亡くなった時の姿を重ねていた。ますます涙が溢れてきて、それが傷ついた頬に伝う。
「ふみゃっみゃっ!?しっ、染みるにゃ!」
チャオは痛みでその場でバタバタとのた打ち回っていた。更にそれで、あちこちの傷が痛くなる悪循環で暫くその場でもがいていた。
直にぐったりして、その場で動けなくなった。その後そろそろと身体を動かして、仰向けになって大の字になる。
「あたしがやって来た事は正しかったのかにゃ・・・。どうなのかにゃ、みんにゃ・・・。」
チャオは天井を見上げながら、最初に一緒だった仲間や今まで会って来た人達を思い浮かべて誰にでもなく呟くように聞いていた。

「あの、すいませんでした・・・。」
次の日の朝、ルーはチャオの姿を見て恥ずかしそうに謝った。
「構わないにゃ。今日もこれから葬儀だから辛い事になるにゃ。ご両親はもういにゃいけど、あたしも仲間達もいるにゃ。決してルーは一人ぼっちじゃないにゃ。それを忘れにゃいで。」
チャオはそう言って微笑む。
「はい・・・。はい・・・。ありがとうございます・・・。」
声にならに声でルーは言って泣き始める。チャオは見ていられなくなり、自分よりも大きいルーを黙って抱き締めた。
「うぅ・・・父さん・・・母さん・・・。」
ルーはチャオに抱き締められると更に堰を切ったように泣き崩れた。
(ルー・・・。)
チャオは黙って背中を軽く叩いたり、頭を優しく撫でていた。

それから数時間後の葬儀で、やはりルーは無く場面はあったが、それでも気丈な態度で葬儀を無事終わらせた。
葬儀が終わってから、数人の仲の良い看護婦とチャオがルーの部屋に来ていた。
そして、時間が経つに連れ、一人、また一人と勤務の関係もあって申し訳無さそうに帰って行った。
最後にはチャオだけが残っていた。
「な〜んれ、ちゃおせんせいは、かえらないんれすか〜?」
お酒も入っていたルーはチャオに単刀直入に聞いた。
「そんらのきまっれるにゃ〜。ま〜ら、あばれたりしないかみはるためらにゃ〜。」
チャオもすっかり酔っていたが、呂律が回らないのを除いては真面目に答えていた。
「せんら〜ちょ〜にいわれらかられすか〜?」
「あんらのかんけ〜らいにゃ。」
ルーの言葉にチャオは本当にどうでも良いように吐き捨てるように言う。
「あんらのとかいってるら〜。いいつけるら〜。」
それを聞いてルーはジト目になって言う。
「あんらやつにもんくいわせらいからいいにゃ〜。」
「じゃ〜、なんれれすか〜?なんれそこまれあらしにかまうんれすか〜?」
ルーはチャオににじり寄りながら聞く。
「そうらにゃ〜・・・。あらしにとっれ、かわいいこうはいらし、いもうろみたいなそんらいにゃ。」
(可愛い子供みたいっていうのはあえて伏せとくにゃ。ミャオももし普通に育っていれば、ルーよりは年下だけど同じくらいになっている筈だにゃ。)
「そうれすか・・・。」
チャオの言葉にケラケラ笑っていたルーが急に静かになって呟く。
「そうら、しんぱいなんら。それにら、きいてるかわからないけれろ、る〜のうみのおかあさんにあたしはたすけられたんら。それであたしはこのみちをめざしたんらにゃ・・・。」
チャオの方も真面目な顔になって言う。
「ちゃおせんせいよっれまふか?」
「よっれるけろ、いまのはほんしんらにゃ。」
「れも、あらしはあかのたにんれすよ?」
チャオがそう言うと、少し拗ねたようにルーが言う。
「にゅぅ〜。」
唸った後、周りを見渡して柑橘系のすっぱいのを絞って一気に飲み干す。
「ふにゅにゅにゅにゅ〜。」
チャオは酸っぱさでプルプル身震いする。ルーはその様子をボーっと見ていた。
「よしっ!覚めたにゃ。ルー、血が繋がっていたっていなくたって、家族だってそうじゃなくたって、大袈裟に言えば皆他人だにゃ。でもそんな事は関係ないにゃ。あたしはルーが純粋に心配だからここに居るんだにゃ。確かに血は繋がって無いにゃ。でも家族みたいなものだって思ってるにゃ。これじゃ不満かにゃ?」
チャオは頬をパンパン叩いた後、真面目な顔をして言う。ルーはチャオの言葉にポカンとしていた。
「あらしはこれからすっごくめいわくかけるかもしれませんよ〜?」
チャオは黙って頷く。
「あらしはあばれるし、けっこんするきもないし、わがままらし・・・。」
「だから何だにゃ?そんなの関係ないにゃ。そんなもん、ひっくるめてあたしが面倒見てやるにゃ!」
「なんらかぷろぽーずされてるみたいら。」
チャオの言葉にルーは素直な感想を言った。
「にゃははは。お互いの性別が違えばそうだったかもしれないにゃ。ルーこれからも頑張るにゃ。何にも心配する事なんて無いにゃ。」
チャオはそう言ってウインクする。
「はひ・・・。」
ルーはそう言ってから、涙が溜まってツーっと頬から伝って落ちて言った。
「今の内に好きなだけ無くにゃ。あたしもとことんまで付き合うにゃ!」
チャオはそう言って、コップに一気にお酒を注いで飲み干した。

二人はそのうち、重なり合うようにして眠っていた。


それから二年後
ルーはめでたく第二外科病棟の婦長になった。それを報告する為に、ルーは両親の墓前に来ていた。
「父さん、母さん。私、婦長になりましたよ。チャオ先生や周りの皆が支えてくれたお陰で立ち直れました。これからどこまで出来るか分からないけれど、一看護婦には出来ない婦長としての仕事を頑張っていきます。」
そこまで言って一息入れると。お線香を供える。
「後はね、結婚とかなんだけど・・・。まだまだ出来そうに無いよ。チャオ先生と一緒で一生独身になっちゃうかも。それは許してね。旦那さんとか孫を見たかったら奇跡を祈っててね。」
ルーは少し茶化すように言って笑う。
「それじゃ、またくるね。」
そう言って、立ち上がってルーは去って行った。

その様子を、チャオは少し離れた所から見ていた。
(声掛けようと思ったけど、掛けなくて良かったかにゃ?)
チャオはそう思いながら、入れ替わりで墓前の前に立った。そして、花を供えてから手を合わせた。
「お久しぶりですにゃ。あたしは何とか腕を上げて、先生と同じ病気の手術を成功できるまでになりましたにゃ。これで、多くの人を助けられますにゃ。ルーも婦長になって、すっかり一人前どころか本当に立派になりましたにゃ。何も心配しないで見守ってあげて下さいにゃ。」
そこまで言って、無くなりかけているお線香に継ぎ足すようにさらにお線香を置く。
「あたしはもう迷いませんにゃ。あの時の言葉決して忘れませんにゃ。」
チャオは真顔になって、しっかりとした口調でキッパリと言い切る。
「今は候補が居なさそうだけど、ルーにはいずれ良い人が現れると思ってますにゃ。その人と一緒に来るまで暫く待っててやって欲しいにゃ。今日も良い天気ですにゃ。」
そう言いながら、チャオが空を見上げるとお線香の煙が立ち上る中、雲一つ無い青空が広がっていた。