ラボトリオ


ユーリとのやり取りを終えたキャネルはナターシャへと連絡を入れていた。
「チーフ、お願いします。」
『・・・・・・。』
ナターシャは目を閉じて思案しているようだった。一方のキャネルは頭を下げっ放しでいた。そんな二人をハラハラしながらナイルは見守っていた。
『ナイルの協力は構いません。今してくれた話はキャネル室長の言う通りとても重要な証言です。しかし、過去のそれぞれの人間の動きのデータを自由に閲覧する権限を与えるというのは現時点では許可出来ません。これは、それぞれのプライバシーにも関わりますし貴方達が知ってはならない事もあるのです。』
少ししてナターシャは目を開けると丁寧に言う。
(チーフ・・・。本音だな。俺等を信用してくれてると取って良いかな。警告してくれてる訳だし。)
「そんなっ!チー・・・むぐっ!?」
「でしたらチーフ。俺とナイル、これから来るユーリを含めた遺伝子工学研究室の全研究員。それと亡くなった子のであれば許可を頂けますか?」
食いかかりそうになるナイルの口を塞ぎながらキャネルは冷静に聞いた。
『良いでしょう。ロックを外すのに少し時間を下さい。外れましたら私から連絡を入れます。それで良いですか?』
「はい、ありがとうございます。」
ナターシャの言葉にキャネルは頭を下げてお礼を言った。
『キャネル室長、ナイルの事は頼みましたよ。それと、事件の事も重ねてお願いしますね。』
「ナイルの事は普通に引き受けたいんですが、事件の方はあんまり乗り気じゃないのが本音です。でも、出来る所まではやってみるつもりです。ただ、チーフ・・・。」
『何ですか?』
真面目に聞くキャネルに表情を変えずナターシャは聞き返す。
「触れてはならない核心だとしたら、そこまで辿り着きそうになったら俺はそこへ行ってしまって良いんですか?」
『そうですね・・・。内容次第によりますが、ラボの事であるならばこのナターシャ・ミラローズが全て責任を負いましょう。』
「それは、俺等を守ってくれると取って良いんですよね?」
『そうです。』
(あんまこれは言いたくなかったんだけど・・・。)
「例え相手が軍のお偉いさんや政府の高官相手でも?」
内心で思いながらも、キャネルは突っ込んで更に聞いた。
『勿論です。ラボに関しては例え何者であっても手出しも口出しもさせません。』
ナターシャは間を置く事無くきっぱりと言い切った。
「それを聞いて安心しました。それではチーフ、失礼します。」
『では、後程ロック解除が出来たら連絡します。』
そして、通信が切れた。
「はぁ、疲れる・・・。ごめんねナイルさん。」
溜息をついた後、抑えていた手を放しながらキャネルは謝った。
「いえ、逆に止めてくれてありがとうございます。凄いですねキャネル室長は。」
「う〜ん、長引かせたくなかっただけなんだよね。チーフと面と向かって話すと疲れるからさ。」
興味津々の目で見るナイルに、キャネルはだるそうに椅子へ寄り掛かりながら言う。
「とりあえず、これで一応はチーフが味方だと考えて良いかな。軍が関係してそうな事は分かってるから言いたくなかったんだけど、確約取って起きたかったんだよね。例え口約束でもさ。実はチーフは全部知っていて、俺等は掌の上かもしれないけど調べるだけ調べようかね。大見得切った手前チーフにもそれなりの事はしてるとこ見せとかないと後が恐そうだからね。」
「チーフが全部知っていたら嫌ですね・・・。」
ナイルはキャネルの言葉に複雑そうな顔をして呟く。
「偉い人ってさ、そう言うのも飲み込まないといけないんだと思うよ。だから、俺これ以上は上行きたくないし、ここの問題児っていう奴等引き受けてるのよ。まあ、楽しくやってるから何の問題もないんだけどね。」
少し笑いながらキャネルは言う。
「じゃあ、その内私もここに来る事になるんですかね・・・。」
更にシュンとしてナイルは小声で言う。
「かもね。だけどここでは変に裏で嫌味言われる様な事はないよ。確かに皆変わり者かもしれないけど、根は良い奴等ばっかだし悪い所じゃないよ。今居る所が嫌なら異動届でも出して、ここに来れば良いよ。俺は大歓迎さ。」
「キャネル室長・・・。」
少し涙ぐみながらナイルはそのままキャネルに抱きついた。
「んっんぅ〜。」
「ひぁぅ!?」
突然後ろから咳払いが聞こえて、ナイルは変な悲鳴を上げた。
「委員長、人が悪いぞ。いつから居たんだよ。」
「チーフと話をされている辺りからですかね。色々と邪魔をすると悪いと思ったので。」
ユーリはキャネルに言われてジト目をしながら答えていた。
「随分と仲が良いんですねぇ。」
(こんのぉ・・・いつまで引っ付いてんのよ。)
更にジト目が酷くなって、ユーリはこめかみがピクピクしているのが自分でも分かっていた。
「えっ!?あっ、い、いえ、こ、これは私が勝手に抱きついちゃって、あの、そのですね。」
ナイルはすぐにキャネルから離れてユーリに説明しようとしたが、慌てていて全く説明出来ていなかった。
「そう怒るなよ委員長。確かに行きつけのバーで飲んでいたのに呼び出して悪かった。約束通りチューするから機嫌直して。」
キャネルはそう言うと、目を閉じて唇を突き出す。
「・・・。」
(そうじゃないでしょ・・・・そうじゃ・・・。)
ユーリは俯いて怒りで肩がプルプル震えていた。
ドバキッ!
「げふっ!?」
ユーリからいきなりグーパンチを貰ったキャネルは壁まで吹っ飛んだ。
「あわわわわ。」
どうして良いか分からず、ナイルはその場でワタワタしていた。
「二人きりの時ならまだしも、この状況でそういう事言いますか貴方は?」
ユーリは据わった目でキャネルの胸倉を掴みながら言う。
「す、すいません。俺が悪かったです。」
物凄い迫力にキャネルは思わず反射的に謝っていた。
「分かれば宜しい。それで、どういう事なのかと、私は何をすれば良いのかを教えて下さい。室長とナイルさん。」
キャネルから手を放して、途中からコロッと笑顔に変わって二人へそれぞれ言う。
「お、おう。」
「は、はい。」
(この人は怒らせない方が良い。)
二人は同じ思いを胸に秘めて返事をしていた。

「ああ、数年前の事故ですね。それだったら、どこかにデータ残っていますよ。確かあの事件の時にラボの人間も爆発原因の調査の為に借り出されていたと思います。」
話を聞いたユーリは端末を弄りながら答えていた。
「流石は委員長。やっぱり呼んで良かった。」
キャネルは頬を摩りながら言っていた。
「何言っているんですか、大きな事件事故はデータスクラップしておいてくれって言ったのは室長ですよ。」
「あれ?そうだったっけ?忘れてた。」
ユーリの言葉にキャネルは頭を掻きながら気まずそうに言っていた。
「ナイルさん。どんなデータがあれば良いかしら?」
「あ、えっと、軍の人の犠牲者の情報をお願い出来ますか?」
さっきの出来事から、ナイルはユーリに対して怯える小動物の様にビクビクしていて、恐る恐るお伺いを立てるように言っていた。
(やれやれ、まあしょうがないわね。)
ユーリは内心で苦笑いしながらも、必要なデータを引き出していた。
「当時のニュース映像と、後は・・・軍が発表した情報の映像かな。これで良しと。画像出すので見てね。」
「はっ、はいっ!見させて頂きますっ。」
ナイルは返事をして、映り始めた画像を食い入るように見始めた。
(委員長は凄いなあ。チーフにでさえ食いかかろうとしたナイルさん完全に圧倒しちゃってるもんなあ。俺も圧倒されちゃったし。意外な一面見れて良かったけど、代償がでかかったなあ。あ〜痛ぇ。)
キャネルはユーリとナイルを黙って見比べながら考えていた。
「あっ!この人ですっ!」
ナイルは画像を見て少ししてから、興奮したように指を差しながら叫んだ。
「セプテイル特務曹長で良いのかしら?」
「はい。この人に間違いないです。」
画像を止めたユーリに確認されてナイルは返事する。
「室長、チーフから連絡入っていますのでそちらに回します。私はこのセプテイルという人の事を追いかけて調べてみます。ナイルさん手伝ってくれるかしら?」
「はっ、はいっ!勿論です。手伝わせて下さい。」
「じゃあ、そっちは宜しく。俺はチーフと話すわ。」
それぞれ言い合った後、キャネルはナターシャからの通信に出た。
『キャネル室長。貴方からの申請された件のロックは外しました。キャネル室長を含めた遺伝子工学室に所属する全員と、生物生態学室のナイル、爆発事故で亡くなった同じく生物生態室のカミラで良いですね?』
「はい、間違いないです。」
『では、これからコードを送りますのでそれを使ってシステムを立ち上げて下さい。』
「分かりました。無理を聞いて頂いてありがとうございました。」
『いえ、事故の真相究明を宜しくお願いします。それでは、これで。』
ナターシャからの通信が切れるのと同時に、コードが暗号化されたものが送られて来るのがわかる。
(とりあえず、あっちの結果が出てから三人で見た方が良いかな。)
そう思って、いつも通り冷静なユーリと、心なしかアタフタしているナイルを面白そうに見ていた。

(この人・・・最近何処かで見たような気がする。私は生で幽霊を見ていたって事?まだ酔っているのかしら・・・。)
ユーリは作業をしながら、どうしてもその思いが引っ掛かっていた。
「室長。お暇ならコーヒーいれて貰えませんか?私はブラックでお砂糖は別で持って来て下さい。ナイルさんは?」
「ふえっ!?わ、私ですか?の、飲んでも、い、良いんですか?」
急に自分に振られて、ビクビクしながらナイルは聞き返した。
「喉渇いて効率落ちるよりは良いと思うけれど?」
「じゃ、じゃあ御言葉に甘えて頂きます。私もコーヒーで砂糖とミルクはたっぷり入れて下さい。」
「おうよ、んじゃそれ飲みながらちと休憩にすっか。」
そう言って、キャネルはコーヒーをいれに行った。戻って来て三人でコーヒーを飲みながら一息入れていた。
「あっ!思い出した。」
「ん?」
「ひあっ!?ごめんなさい、私が悪いんです。すいません。」
ユーリの言葉にキャネルは不思議そうに見ていたが、ナイルは身構えて急に謝り出していた。思わず何で謝るのか不思議に思った二人はナイルを見ていた。
「あ、あれ?え、えへへ、何でもないです。すいません、お騒がせしました。」
少しして見られている事に気が付いたナイルは我に返って、恥ずかしそうに二人の方へ謝った。
「駄目だよ委員長、俺の見てない所でナイルさんいじめちゃ・・ぁ・・・。」
「何か仰いましたか?」
ユーリは空になったコーヒーカップを振り上げながら笑顔で聞き返していたが、その目は笑っていなかった。
「何でもないです。何を思い出したか俺知りたいなあ。」
キャネルは危機を察して、誤魔化すように聞いた。その様子を見ていたナイルはコーヒーカップを落とさないようにと両手で支えていたが、その手がカタカタ震えて固まっていた。
「一昨日、今日とは別のバーで飲んだ帰りに、このセプテイルと軍のメリア大佐をセットで見たんです。」
「えっ!?」
ユーリの言葉を聞いて、キャネルもナイルも驚いて声を上げた。
「場所、どこ?」
「バーが入っているのは、シーブルー。そこのロビーでですよ。」
「うお、聞いたけどわからねえ。」
キャネルは名前を聞いても分からず、苦笑いしながら言っていた。
「シーブルーって、あの上の方の階へ行くほど高さと一緒に値段も上がるっていうホテルですか?」
「面白い事いうわね。そうよ。地下に入っているバーで飲んでいて、意気投合したお客さんに誘われて展望レストランへ行こうと思ったんだけれど直通エレベーターが使えなくて、そのお客さんと一緒にフロントへ聞きに行ったら貸切だって言われて、ガッカリしてそのお客さんと別れて帰る時に見たんです。メリア大佐は外に出なかったけれど、セプテイルともう一人知らない女性が一緒に出て行っていたなあ。」
ナイル聞かれて答えた後、思い出すように言う。
「つまり、事故で死んだ筈のセプテイルって人が生きてる可能性がかなりの確立である訳だ。軍のメリア大佐と一緒に居たってのが、その証拠みたいなもんだよな。」
「どうしてですか?」
「私もそこまでの確信になんでメリア大佐が出てくるんですか?」
キャネルの言葉に、ナイルもユーリも不思議に思って聞く。
「メリア大佐ってさ軍の特殊部隊の参謀なのよ。たまに広報もやってる。一昨日もニュースで謝罪会見か何かの生中継に出てたし。昔の爆発事故のニュースでも出てた記憶あるよ。自分の部下達が亡くなってどうこうとか言ってたはず。あの時はマジ泣き入ってたと思うんだよなあ。「鉄の女」って言われてるらしくてさ、その目にも涙って当時結構騒がれたんだよ。だから覚えてるんだ。」
「へえ、チーフみたいですね。」
「そこで茶々入れない。」
「すっ、すいません!」
ユーリに突っ込まれて、必要以上に萎縮してナイルは謝る。
「続きをお願いします。」
「おう。」
(ぷっくっく。キャットナイルもタジタジだな。)
キャネルは二人の反応を見て内心で笑いながらも、普通に返事していた。
「当然メリア大佐程の階級持ちだったら、警備とかついてておかしくない筈だ。でもそういうの無しで一緒に居たって考えると、セプテイル本人だって事にならないか?確かにもう一人がメリア大佐の知り合いって可能性はあるけど、それでも一緒に居られる訳無いと思うんだよな。」
「納得です。」
ユーリが言うと、ナイルもウンウンと無言で頷く。
「更にさあ、あんま宜しくない事を思い出したんだよね俺。メリア大佐さあ、チーフと会ってるんだよね。更に言うと、その席に生物生態室長も同席してたんだよね。一回じゃなくて複数回同席してるの俺見てるんだ。」
苦い顔をしてキャネルは言う。
「それって・・・。」
「生物生態室長も関係しているって事かも知れない・・・。」
途中で言葉が詰まるナイルの言葉を補うようにユーリが言う。
「こりゃあ、俺等がゴチャゴチャ動くよりも、生物生態室長の帰りを待って聞く方が早そうだな。」
「あの・・・でも・・・。」
キャネルの言葉にナイルが戸惑う。
「異動届すぐに出してくれるかな。ナイルさん。」
「えっ!?それってどういう・・・。」
急に言われて、ナイルは困惑してしまう。
「ナイル。貴方を守る為よ。疑いのある生物生態室長の下に置いておくよりはこちらに居た方が安全だから。全てを正夢にしたくないでしょう?」
「はいっ、すぐやります!」
ユーリの言葉に納得して、すぐにナイルは今まで弄っていた端末で作業を始めた。
「いやあ、俺より委員長の方が言う事聞いてくれるねえ。大したもんだわ。」
「何言ってるんですか。そう仕向けたくせに。」
褒めるキャネルをジト目で見ながらユーリは言う。
「じゃあ、今の内にチューでも。」
「そうじゃないでしょう?」
「いへへへ。」
口を突き出すキャネルの頬をユーリはジト目のままつねった。