会議


・・・ラボ 大会議室・・・
「氷のナターシャ」の異名を持つ、ラボの最高責任者「ナターシャ・ミラローズ」は今回の事故報告のデータを見て難しい顔をしていた。
(相変わらず、大雑把なものしかない。今回の緊急の徴収会議でどこまで細かい所が出てくるのかしら。)
会議室には、いくつかの空席はあったがそこに端末が置かれると中継が繋がる。

「室長。急いで下さい。もう皆揃って中継も来ています。今回は氷さんも居ますよ〜。」
少し面白そうな感じで部屋から出て来たキャネルに研究員の一人が言う。
「氷さん?って、うげマジかよ。」
(チーフが出張ってきたか〜。)
中継画面にナターシャが映っているのを見てキャネルは思わず声を上げる。
「こりゃあ、今までとは違って真面目な話になりそうだなあ。とりあえず今日の実験・研究は一旦中止。全員この会議見といてくれ。」
「は〜い。」
キャネルは何とも言えない顔になって部屋に居る全員の研究員に指示を出すと、お約束のように返事が返ってくる。
「ちっとはデータ集めといて良かったかな。さ〜て、とりあえずどんな事になるのか様子見させて貰いますか。」
キャネルはそう言った後、端末の前に座って軽く自分の頬を叩いた。

会議の方はナターシャが居る事で、今までの形だけといういい加減なものではなくなっていた。
(は〜、こんだけ違うもんなんだねえ。今まで何やってたんだか。)
キャネルは余りの違いに感心半分、呆れ半分になっていた。
『発生した毒ガスはN−60Fです。』
(えっ!?N−60F?保管庫にある薬品だけだと発生しないだろ?)
発表された情報を不思議に思ってキャネルは首を傾げる。
「発言良いですか?」
キャネルはすぐに端末に向かって言った。
『まだ発表は全部終わっていないぞ!』
少しムッとした表情で、画面向こうの今発表した委員の一人が言う。
『キャネル室長。発言を許可します。良いですね?』
『は、はい・・・。』
ナターシャの一言で、相手は不承不承黙る。
「では、失礼して。急ごしらえなんですがさっきまとめたデータです。ラボ内の基礎データを当てはめているので間違いはないと思うんですがご覧下さい。まずは、爆発事故の起きた保管庫にある薬品一覧です。次に、この薬品がそれぞれ単独で発生させる可能性のあるガスの一覧です。そして、最後に薬品が混ざった際に発生するガスの一覧です。」
キャネルが言う三つのデータが会議室にも映し出される。
『最後の一覧データにN−60Fは無い・・・。』
ナターシャの呟きに、会議室だけでなくキャネルと一緒に居る研究員もざわつく。
「俺は薬品のスペシャリストでは無いので、保管庫に有った薬品のどれと、何の薬品を混ぜるとN−60Fという毒ガスが発生するかはわかりません。そこは専門分野の人の方が分かると思うんです。」
(あえて人為的とか言わない方が良いかな。)
キャネルはそう思って、そこで言葉を切った。
『薬学研究室。キャネル室長の出したこのデータに間違いはありませんか?それと、N−60Fが発生する以前の、保管庫でのガスの発生があったかのデータはありませんか?』
『少しお待ち下さい。』
『発生したガスについてはデータが残っています。爆発位置にあった薬品と発生しているガスについてキャネル室長からの提出データと一致します。』
ナターシャの言葉に、薬学研究室長が端末に向かい、別の所からもう一つの答えが出る。他の皆は薬学研究室長の動きを見守っていた。
『お待たせ致しました。キャネル室長のお使いになったデータはうちからのもので間違いはありません。もう一つ申し上げますと保管庫のデータも入室者・退出者が居る度に更新されておりますので間違いありません。』
少しして薬学研究室長は冷静に答えを出した。
『ちなみに、N−F60Nは最初に発生していたガスに他の薬品を混ぜると発生するものなのですか?』
『はい、ただ今回の爆発事故の起きた保管庫では発生する可能性はゼロです。発生する可能性があるとすれば、最後に保管庫へ入室したものがその薬品を持ち込んだと考えるのが自然です。他に考えられるのは排気ダクトからの混入などですが、間違いなく第三者の意図的な介入があった事は間違いないと思います。』
最後の【第三者の意図的な介入】という言葉に一気に会議室がざわつく。
『静粛に。キャネル室長、貴方が言いたかった事はそういう事なのですか?』
「そうですチーフ。」
騒ぎの中、ナターシャが聞くとキャネルはあっさりと答える。更にざわつく中、最後の入室者が爆発事故に巻き込まれての事故死と確認され、その人間が薬品を持ち込んだという結論が出て会議が終わった。

「は〜、やっと終わった。」
キャネルは通信を切って、背伸びしながらだるそうに言う。
「はい、室長コーヒーです。」
「ああ、ありがとさん。やっぱチーフが出てくると話が違うし早いわ。」
研究員から差し出されたコーヒーを、お礼を言ってから受け取ってキャネルは飲みながら呟いた。
「でも、室長。凄いじゃないですか。株上がりましたよ!」
興奮気味に会議の様子を見ていた他の研究員が言ってくる。
「だってさ〜、長引くの嫌だからねえ。」
「へ?それが理由ですか?」
面倒そうに答えるキャネルに研究員は唖然とした顔になりながら聞く。
「そうだよ。駄目?」
「いえ、駄目じゃないですけど・・・。」
あっさり答えて聞いてくるキャネルに研究員は困惑気味に答える。
「ふぁ〜あ、眠い・・・。あのさ、誰でも良いから薬学研究室長にお詫び入れてくんないかな。んで、改めて俺が侘び入れるからって追加で言っといて。俺部屋で寝るからさ。例えチーフでも何か理由付けて起こさないでね。ああ、流石に今日は無いと思うけど、また事故とか起きて危ないようだったら蹴り起こして頂戴。それじゃ、おやすみ〜。」
大きく欠伸した後、キャネルは研究員にヒラヒラと手を振りながらそう言って部屋へと消えていった。
「は〜、室長って凄いんだか駄目なんだかわかんないや・・・。」
「両方なんじゃないの?あれでバランス取れてるんだよ、きっと。」
「じゃあ、俺薬学研究室に連絡入れるわ。」
「それなら、私が室長宛の連絡受けるわね。来たら回して頂戴。」
研究員達はいつもの事の様にそれぞれ慣れた感じで言い合っていた。

「むぅう・・・。」
ナイルは会議の様子をこっそり見ていて、その結果に納得が行かず唸っていた。
(室長はチーフに呼ばれて帰ってこないし、あの子がわざわざ離れた区画の保管庫まで行く理由なんてないし。それに、あの子はあそこの保管庫の場所知らない上に、多分私と同じで一人では入れない。)
最後に結論付けられ事故死した人間は、ナイルの居る生物生態学室の研究員の女性だった。ナイルとはそこそこの付き合いがあり、彼女の事はそれなりに把握していた。だから、ナイルはその疑問が消えずにいたのである。
元々ナイルは研究員としては優秀だったが、一つの研究室を任せられるリーダーの資質に欠けていると判断され、この研究室の最古参として残っていた。他に同期の人間が室長になって行く中、本人に出世欲がないのや気にしない性格、そして何より好奇心旺盛な性格が色々災いして扱い難い存在として一部には有名だった。
「う〜ん・・・。そうだっ!」
ナイルの言葉に、周りで様子を見ていた研究員達がビクッと反応する。
(キャネル室長なら力になってくれる。)
そう確信して、端末経由でキャネルの居る遺伝子工学室へ通信を入れた。

「はい、遺伝子工学室です。」
『生物生態学室のナイルと申します。キャネル室長はいらっしゃいますか?』
「少々お待ち下さい。」
受けた研究員は、さっきの打ち合わせ通りに通信を回した。
「代わりました。申し訳ございませんが、キャネルは体調不良で休んでおりますので、出来れば明日にして頂けませんでしょうか。」
『そうですか・・・。でしたらお大事にとお伝え下さい。また明日にご連絡入れさせて頂きます。それでは、失礼致します。』
通信はそこで切れた。
「ちょっと、何で室長に名指しで【キャット】ナイルから連絡入る訳?」
通信を受けていた女性が周りに聞く。
「さあ?」
「なんでだろ?」
「あれ?室長が今日避難した先で知り合って、ここまで送ってきたのが彼女じゃなかったっけ?」
不思議がる研究員の中、一人が思い出したようにいう。
「室長も運が無いなあ。」
「ねえねえ、何で【キャット】なの?」
女性が困った顔になって呟くと、研究員の一人が聞いてくる。
「好奇心旺盛、誰にも懐かない、気まぐれ。色々な意味を含めて付いたあだ名よ。基本的にはあんまり良い意味じゃなく使われるみたいだけどね。」
「類は友を呼ぶ、じゃないのか。室長色々な人間引き付けるからね。俺だって例外じゃないさ。」
女性の言葉を聞いた後、少しにやりと笑いながら一人の研究員が言う。
「けどさ、送ってきただけだろ。それだけでわざわざまた連絡入れてくるか?」
「忘れ物があったとか?」
「だったら持ってくりゃいいじゃん。」
「あっ、そうか。」
そこからは、暫く何でナイルがキャネルに連絡を入れてきたのかの理由を何人かの研究員が話し合っていた。

「ん〜〜。あ〜良く寝た。いてて・・・まだ筋肉痛は取れないか。」
ベッドから起きたキャネルは背伸びした時に、痛みを感じて苦笑いしていた。時計を見るともうかなり時間が経っていた。
「流石に皆帰ったな。」
部屋のモニターや、入隊室記録を確認しながら呟く。
「さ〜て、あんま見たくないけどメールチェックしとくかなあ。」
予想通りいつもでは考えられないほどのメールが来ていた。キャネルは思わず全消去を選ぼうと思ったが、思い止まって一通ずつ目を通し始めた。
内容は今日の会議の事が殆どを占めていた。中には誰がナターシャを呼んだのか、もしくはナターシャが今回急に出てきたのか疑問に思っている意見も含まれていた。
「そうなんだよなあ・・・。俺も何で今回に限ってチーフが出てきたのかってのは疑問なんだよなあ。」
呟きながら、その意見を出してきた相手には自分もそう思っている旨を書いて返信していた。
「うげ、見たくねえなあ・・・。」
キャネルはメールの差出人を見てあからさまに嫌そうな顔になって呟く。
【ナターシャ・ミラローズ】
仕方無さそうに、溜息をつきながらメールを開けた。

『遺伝子工学室 キャネル室長殿
事故調査委員会を開催するので出席をお願いしたい。
時刻 1500〜
場所 第4会議室
注意 中継での出席は禁止。欠席する際にはその旨を報告するよう。
ラボチーフ ナターシャ・ミラローズ』

「参ったなあ。出て来いってか・・・。」
困った顔をしながら、キャネルは第4会議室の場所を検索した。隣の区画のそこそこ離れた場所だった。
「あっちゃ〜、こりゃ案内役居てくれないと辿り着けんな。」
苦笑いしながら言った後、嫌な事を忘れるかのように他のメールチェックを始めた。
「ん?ナイルさんから?」
もう殆ど無くなった受信メールの中に名前を見つけてすぐに開いた。

『遺伝子工学室 キャネル室長様
本日避難所でお話させて頂いた、生物生態学室のナイルと申します。
本日の事故の件でお話を聞いて頂きたい事があったのですが、
キャネル室長は体調不良でお休みとの事だったので
明日もう一度ご連絡させて頂きたいと思っております。
本来ならば、うちの室長に話をするのが筋なのは分かっておりますが、
未だ戻らず相談する相手が居らず困っています。
本日頂いたお言葉に甘えまして、メールをさせて頂きました。
キャネル室長のご迷惑にならないようでしたらば、お話を聞いて下さい。
宜しくお願い致します。
尚、うちの室長が戻りましたらそちらに言うつもりですので
その際にはもう一度ご連絡させて頂きます。
それでは、お体お大事になさって下さい。失礼致します。』

「ふ〜ん、って事は会議の結果とか知らないのかねえ。まあ、明日っていうか今日分かるか。」
時計を見て日付が代わっているのを確認して、自分で言い直していた。
(しかし、当事者が居た研究室の室長が未だに戻らないってのは困るだろうねえ。権限貰ってないと部屋のロックとかかけられないだろうし・・・。ってもしかしてまだ残ってるとか?メール来た時間遅かったしなあ。)
キャネルは試しに生物生態学室へ通信を入れてみた。
(出ねえなあ・・・。だけど、留守仕様になってないって事は誰か居るって事だよな。このまま呼び出し続けとくか。)
そのまま呼び出しっ放しにして、残りのメールチェックに入った。

ピーピーピー
真っ暗な生物生態学室に呼び出し音が響いていた。
「ん・・・ぅ・・・。」
そんな中、ナイルは気が付かずに机に突っ伏して寝ていた。
ピーピーピー
「ぅぁ?」
流石に暫くして気が付いてよだれを垂らしながら寝ぼけ眼で起きた。
「はひ、生物生態学室でふ。」
『キャネルだけど、って、なんつう顔して出てんのよ。』
画面の向こうのキャネルは笑いながら言っていた。
「はっ!す、すいません。」
ナイルはキャネルの言葉で目が覚めて、アタフタしながらよだれを拭いたり、身だしなみを急いで整えていた。
『室長戻ってなくて、まだ帰れないの?』
「えっ、あっ、はい。この研究室では最古参で副責任者なもので、放って帰れないんです。」
苦笑いしながらナイルは答える。
『会議の後、チーフと一緒に出て行ったからなあ。居る位置調べてみると、まだチーフと一緒っぽいんだよね。だけど、チーフと一緒なら連絡くらい入りそうなもんだけど、来ないんでしょ?』
「はい、こちらからも悪いとは思っているんですが連絡入れても全く応答が無くて。」
『事故の後って事もあるし、俺からチーフに聞いてみるよ。』
「宜しくお願いします。」
『そのままで、ちょっと待っててね。チーフと代わって貰うかもしれないからさ。』
「はい、分かりました。」
ナイルは少し緊張しながら待っていた。

「ホントは嫌だけどしゃあないよな。」
キャネルはぼやきながらナターシャの所へ通信を入れた。
『こんな時間にどうしましたか?キャネル室長。』
すぐにナターシャ本人が画面に映る。
(げげっ!何となく機嫌悪そう?)
「すいません、実は生物生態学室長とのお話は終わったのかと思いまして。」
キャネルは少し低姿勢で聞いた。
『彼とはもうかなり前に話が終わって、研究室に戻っている筈だと思いますが?』
「それが、同じ研究室に居るナイルという研究員と今通信が繋がっているんですが、未だに戻っておらずに、連絡も取れないとの事なんです。念の為俺の端末で調べると、まだチーフの所に居る事になっているんですよ。」
キャネルは状況を説明した。
『おかしいですね。私から見ると既に研究室に居るようになっています・・・。』
言った後のナターシャの表情が厳しくなる。
「どういう事ですかね?」
『すぐに残っている警備のものに探させます。ナイル研究員の方には部屋から出ないように伝えて貰えますか。私の方で研究室にロックをかけます。』
「わかりました。私は部屋に居ますので何かありましたらご連絡下さい。こちらも部屋で待機しています。」
『分かりました。では後で。』
短く言うと通信が切れた。
「だとさ、OKかナイルさん?」
『は、はい。あ、あの心細いんでこのまま通信繋げていても良いですか?』
「構わんよ。」
(はてさて何が起こってるのやら。)
恐がって聞いてくるナイルに気楽に答えた後、キャネルは両手を頭の後ろで組んで椅子に寄り掛かった。