ラボ
・・・ラボ 遺伝子工学研究室・・・
「なあ、また事故だって。」
「聞いた聞いた、物騒だよなあ。」
「ここの所連発してるよな。俺らも気をつけないと。」
研究室の中に居る何人かがひそひそと話し合っていた。
「そういうおしゃべりから気が抜けて事故に繋がるんだ。話がしたいなら休憩室でって言われてるだろう?」
話している方へツッコミが入る。
「は〜い。」
話していた方は返事をして黙る。
(しかし、本当にここの所事故が多過ぎる。安全面ではいつも以上に気を遣っていると思うんだがなあ・・・。)
ツッコミを入れた男性は椅子に寄り掛かりながら、最近連続して起きているラボ内の事故の報告書を見ていた。
シュイン
「室長!」
扉が開いて、一人の白衣を着た研究員が慌てて入ってくる。
「どうした?そんなに慌てて。」
「また、事故です。しかも、起こった場所が同区画内の薬品庫で有毒ガスが発生しているそうです!」
「何っ!?」
研究員の言葉にのんびり聞いていた男性も流石に驚いて声を上げる。室内も一気にざわつく。
「全員防毒マスク着用。何処にあるか分からんものは俺に聞け。避難経路は各自が持っている携帯小型端末へ送るからそれを見て早急に非難しろ。以上だ。君も急いでこれをつけて非難しろ。」
男性はてきぱきと指示をしながら、最後に入ってきた研究員に防毒マスクを放って渡した。
部屋中は騒ぎになって、数分後には男性を残して誰も居なくなった。
「さて、俺も行くか。」
男性は誰かが残っていないかを確認してから、部屋に隔壁を含めたロックをかけて避難場所へと向かって走り出した。
男性がやってきた避難場所には既に多くのラボの関係者が来ていて騒ぎになっていた。
「ったく、俺は体育系じゃないんだから走らせるなっつうの。」
「随分汗だくですね。良かったらどうぞ。」
男性がぼやいていると、目の前にミネラルウォーターの入ったボトルが差し出される。
「ん?サンキュ。」
すぐに男性は受け取って、お礼を言った後一気にある程度まで飲む。
「ふぅ、美味い。ありがとう。」
飲み終わった後で、改めて差し入れてくれた相手を見てお礼を言った。
「いえいえ、ここは遠かったんじゃありませんか?キャネル室長。」
「あれ?俺の事知ってるんだ?」
意外そうな顔をしてキャネルは相手の女性に聞く。
「ここですよ、ここ。」
相手は少し笑いながら胸のネームプレートを指差す。
「ああ、そっか。えっと、そっちはナイルさんね。いやあ、恥ずかしながら途中で迷った。」
言われて苦笑いして頭を掻きながらキャネルは答えた。
「室長が方向音痴だと言う噂は本当だったんですね。」
「まあ、そういう事だ。だからあんまり研究室から出たくないんだよ。どうせ身よりも無いし行くとこ無いから研究室が俺の家みたいなもんだからなあ。会議とかもさ、俺の事知らないのが引っ張り出すくせして、道に迷って遅れたら雷落とすだろ。勘弁して欲しいぜ全く。だから中継会議システムがあるんだからそれ使ってくれって頼んでる。」
キャネルは否定せずに愚痴りながら説明していた。
「それで、室長は一部からは幽霊かもしれないとか言われているんですね。」
「ただの方向音痴な引き篭もり何だけどなあ。」
「ぷっ、何ですかそれ。」
キャネルの変な例えにナイルの方は思わず笑っていた。
「ねえ、ナイルさん。」
「はっ、はい?」
ズイッと真剣な顔で寄られて、ナイルは驚く。
「悪いんだけど、帰り一緒に研究室まで行ってくれないかな?俺帰れる自信ない。」
「あはは、良いですよ。」
(はあ、びっくりした。勘違いだけど、今もちょっとドキドキしてる。)
笑いながら答えていたナイルだが、ついさっきの真剣な眼差しに女性として内心ドキドキしていた。
「よっしゃ、これで帰り確保。しっかし、何で最近こんなに事故連発するんだろうねえ。俺知らない間に、ラボ内の事故調査委員会とかいうのに入れられててさ困ってるんだよねえ。」
最初は喜んだが、キャネルはぼやく。
「あらら。それはご愁傷様です。うちの室長もその委員会に所属していて要らない仕事が増えたってぼやいてましたね。」
ぼやきを聞いて、ナイルの方は苦笑いしながら言った。
「やっぱ、そうだよねえ。そういうのってさもっとこう専門家みたいのに頼んだ方が良いんじゃないかと思うんだよねえ。そっちとか俺とかもそうだけど直接の研究からかけ離れた分野押し付けられても困るし、正直何して良いか分からないんだよね。」
更にキャネルはぼやく。
「同じ事言ってますね。うちの室長も。でも、今回は毒ガスまで出たらしいじゃないですか?」
「うん、俺の居た所の同区画保管庫の爆発だって聞いたけど微妙だよなあ。」
「微妙というと?」
なんともいえない顔をして言うキャネルの言葉を不思議に思ったナイルは聞いた。
「まあ、今までの研究室とかの爆発はさ、人的被害って考えられるよ。要は、操作ミスとかさ。でも、保管庫って基本的に入れる人間限定されてるし、事故が起きても薬品毎の並びとか考えられて配置してある上に緊急時には隔壁がそれぞれ作動して混ざらないようにとかなってるんだよね。だから有毒ガスなんてまず発生すること無いと思うんだ。」
キャネルは自分の意見を丁寧に説明する。
「そうなんですね。確かに私は研究員ですけれど保管庫に入れませんし、今のお話だと考え難いですよね。あまりこういう事はいわないほうがいいかもしれませんが、誰かが意図的にやっているという事ですか?」
「まあ、単品でガスが発生するものもあるけど、俺の知ってる限り同区画の保管庫にある薬品は混ざらない限り有毒ガスは発生しない。あの中でも散々迷って、何処に何があるのかまで知りたくも無かったのに覚えちゃったからなあ。だから、ナイルさんの言う事が一番可能性としては高いんじゃないかなあ。物騒な話で嫌だけどね。」
ナイルの問いにキャネルは難しい顔をしながら答えていた。
「あの、それって最近起きている事件ももしかして誰かが?」
好奇心一杯の目でナイルは身を乗り出して聞く。
「ナイルさん、そういうの好きそうだね。まあ、可能性はあるかもだけど物騒な事には首突っ込まない方が良いよ。ただの研究員なんだし、凶悪犯に敵う訳ないでしょ。好奇心猫を殺すっていうからねえ。」
のんびりした口調ながらも、キャネルはしっかりと釘を刺す。
「むぅ。でも事故調査委員会としては調べないと不味いですよね?」
「まあ、そうだけどね。俺も含めて皆乗り気じゃないし、ナイルさんはそっちの室長さんにハッパかけなよ。」
「キャネル室長連れないです。」
ナイルは少しむくれて言う。
「しょうがないでしょ。俺は遺伝子工学系で、ナイルさんの所は生物生態学系で全然違うんだしさ。後は、やるとしても本当に気を付けてやるんだよ。犠牲者として消されるとかありえるかもしれないからね・・・。」
苦笑いした後、真顔になっていうキャネルを見てナイルは少しキョトンとなったが、黙って頷いた。
暫くして避難指示が解除される。約束通り、ナイルはキャネルを送って行っていた。
「キャネル室長。」
「ん?」
呼ばれてキャネルは不思議そうにナイルを見る。
「もし、もしもですよ。うちの室長に何かあったら力になって貰っても良いですか?」
「生物生態学の事に関して俺は素人だよ?」
「んもうっ!そうじゃありませんよ。事故調査の事です。」
キャネルの答えにムッとしながら言い返す。
「ああ、そっちの事ね。引き篭もりだからうちの研究室に来てくれたり引っ張り出すつもりなら道案内してくれるってのなら考えなくも無いよ。いずれは回ってくる番になるだろうしね。」
「いずれは・・・ですか?」
(キャネル室長は何かご存知なのかしら・・・。)
ナイルは少し難しい顔をしながら聞き返す。
「だってさ、事故調査委員会の人間が減ってくれば、本格的な調査の出番が回ってくるだろうし。そういうのって暇な人間に回ってくるだろうからね。元々勝手に実態があるんだか無いんだか名目上の事故調査委員会だったんだろうけど、まさかここまで事が大きくなるとは作った本人も想像してなかったと思うよ。」
「なるほど・・・。」
納得したようにナイルは頷く。
「多分今回の一件で、そっちの室長も引っ張り出されるんじゃないのかな。そこで、やる気のある研究員から声が掛かれば動かざるを得ないと思うよ。それこそ、ナイルさんの望む所になるんじゃないかな?」
「キャネル室長もしかして、そう仕向けてます?」
キャネルの言葉に、少しジト目になってナイルは聞き返す。
「はっはっは、ばれたか。だって、俺外出たくないもん。そっちで解決するならそれに越した事ないし。ナイルさんだってそれが出来れば御の字。つまり俺もナイルさんも幸せ。これで良いじゃない?」
「ぶっちゃけ過ぎです。でもまあ、言う通りですね。」
笑いながら言うキャネルに、ニヤリとしながらナイルは言う。
「おお、着いた着いた。こんなに遠かったのか。何処をどういったのかさっぱり覚えてねえや。」
「キャネル室長が外に出たくないっていうのも分かる気がしてきました。」
頭を掻きながら真顔で言うキャネルを見て、少し呆れたようにナイルは呟いた。
「分かってくれる?行きたい場所に行けないからさ。困るんだよね。道案内ありがとね。」
「いえいえ、じゃあ、今の件約束ですからね。」
気楽に言うキャネルとは対照的に真剣な眼差しでビシッと指を差しながらナイルは言う。
「まあ、その時になったらね。そっちの室長には送って貰って戻りが少し遅くなる事伝えておくからさ。」
「ありがとうございます。それでは失礼します。」
軽く手を振りながらいうキャネルにナイルは頭を下げてから離れて言った。
「さ〜てとって、うわっ!?」
キャネルが振り向いて部屋に入ろうとすると、何人かの研究員がニヤニヤしながら見ている。
「室長も隅に置けないねえ。」
「可愛かったなあ・・・。」
「室長、誰ですかあの女性は?」
矢継ぎ早に研究員の方から聞かれる。
「あのなあ、答えてやるからさっさと中入れ。」
キャネルは溜息混じりにそう言いながら、研究員を中に押し込みながら自分も部屋に入って行った。
「な〜んだ。避難先で知り合っただけですか〜。」
話し意を聞いた研究員達はつまらなそうに言う。
「何だよその反応は。当たり前だろ、引き篭もりの俺が離れた研究室の研究員と知り合いになれる訳ねえだろ。」
呆れたようにキャネルは言った。
「でも、室長。やっぱり近くの避難所には辿り着けなかったんですね。」
「まあな。その辺は俺自身諦めてる。偉い遠くまで走って疲れた。」
研究員もキャネルの方も苦笑いしていた。
「室長。事故調査委員会から臨時の徴収掛かりましたけどどうします?」
少し離れた所から、別の研究員が聞いてくる。
「俺は中継システムで参加する旨伝えて貰えるか。んで、お呼びが掛かったら呼んでくれ。ちと部屋で休んでる。」
「分かりました。」
キャネルはそれだけ言うと、自分の部屋に入って行った。
「一応下調べくらいはしとくか・・・。」
キャネルはベッドに横になりながら、天井にモニターを映して保管庫の薬品リストを見始めた。
(有毒ガスねえ・・・。)
薬品の組み合わせで発生するガスの情報などを、横になったまま慣れた手付きで集めていた。
最後に保管庫の薬品の位置をインプットしていくつかのシミュレーションを行っていた。
「う〜ん・・・。」
(やっぱ、有毒ガス発生とかまずありえねえなあ・・・。)
何とも言えない顔をしながら、キャネルはシミュレーションの画像を見ていた。
「室長。お呼び掛かりましたよ〜。」
「おう、今行く。」
ベッドから起き上がって、返事をするとキャネルは研究室へと戻って行った。